オオナゾコナゾ

種子島ぴー/九州出身、東京在住。夫と二人暮らしです。旅行のこと、フィギュアスケートのこと、香港のことを中心に、右から左へ流せなかった大小の謎やアレコレを、毒も吐きながらつづります。

宇野昌磨選手大躍進の陰にウクライナ出身のジャンプコーチあり。icenetwork記事翻訳。

昨日のスポーツ新聞の記事を見て、ちょっとどきっとしました。

横浜市内で行われた今日25日開幕のアイスショーの公開リハーサル後に「あまりライバルっていう言葉が好きじゃなくて、羽生選手には勝ちたいと思います」と言い切った。

宇野昌磨が羽生結弦に闘争心「勝ちたいと思います」 - フィギュア : 日刊スポーツ

 

別に、羽生選手うんぬんというのはないけれど、言葉にして発するところからすべては始まると思うので。

 

シカゴ合宿での成果に手ごたえと自信を感じているのかもしれませんね。というわけで、icenetworkより、ジャンプコーチとのコラボレーションと絆を取材した記事を翻訳します。

 Uno, Ouriashev prove to be winning combination.

 

「宇野×ウリアシェフ」は、勝利を導く組み合わせ。

日本の天才スケーターは、ジャンプ専門のコーチを2年、探し求めた。
Posted 8/2217 by Philip Hersh, special to icenetwork

 

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キャプション: アレクサンドル・ウリアシェフをコーチに付けてから、宇野昌磨はゆるぎないジャンパーになり、真のオリンピック金メダル候補になった。Philip Hersh

 

気温26度前後、からっと晴れたパーフェクトな8月中旬の朝。たいていの人は、こんな夏の日は、どうにかして外で過ごそうとするものだ。

 

15歳のホッケー選手 宇野樹と父親の宏樹もそうだった。宇野一家がシカゴ郊外に3週間滞在していた間、毎日のように、彼らはゴルフコースに向かった

 

樹の兄である19歳の昌磨は、ゴルフ組に加わっていなかった。

 

「屋外で過ごすのは、あんまり好きじゃないんです」と、通訳を介して答えてくれたけれど、いたずらっぽい笑顔は、通訳不要だった。

 

宇野は、シカゴのノースウエストにある室内アイスリンクという”もっとも夏らしくない”と言える環境で、とても幸せな時間を過ごしていた。そこで、ジャンプ専門のコーチとして、昨シーズン、9つすべての大会で表彰台に上ることをサポートしてくれた男性と練習をしていたのだ。9つの表彰台のうち5つは優勝で、世界選手権では2016年の7位から2017年の銀メダルへと躍進した。

 

「自分でも、成長の速さに驚きました」と宇野は話す。

 

そんなわけで、彼がアレクサンドル・ウリアシェフと練習するために、ヴァーノン・ヒルズのグレース・アイス・アリーナにまた戻ってきたことは、驚くに当たらない。

 

しかし、スター扱いはされない。同じ日本から来た竹内孝太郎(昨シーズンのジュニア日本選手権14位)を含む、明らかにレベルの劣るスケーターたちとリンクをシェアしていた。

 

「いい点とか強みとか、自分には特別なものはないと思います。同時に、ものすごい弱点とか悪い所もないと思う。スケーターとしての僕は、そんな感じかな」

 

全ジャンプを書き留めるウリアシェフ

その日の2回の40分セッションのうち、最初のセッションの終わりに近づいていた頃。彼は、新しいフリープログラム---有名なオペラのアリア「誰も寝てはならぬ」で始まるプッチーニのトゥーランドット---の最後の部分の音楽を何度もかけた。

 

思案していたのは、3つの4回転と2つのトリプルアクセルを含む12個のジャンプのうちの8個を、後半に持ってくるフリープログラムの持久力を形成することだった。

 

ほとんどすべてのジャンプを跳ぶごとに、ウリアシェフは宇野が氷上に残したブレードの跡を研究した。そして、リンクに持ってきていた小さなノートに、感想を書き留めた。ジャンプの大きさやジャンプの入りの正確さ、着氷の安定性などだ。

 

音を消した後、宇野は個々のジャンプの練習を始めた。「今のは、絶対に三回転よ!」と断言できるほど軽々と、4回転トゥループを跳んだ。それから、今シーズン、新たに加えたい要素、長らく問題を抱えていた4回転ルッツ(踏切のエッジにたびたび疑問を持たれていた)の構築に取り組み始めた。これは、かなりの挑戦だ。

 

「タイミングだよ」。宇野が転ぶと、ウリアシェフが言った。

 

宇野は英語がほとんど話せないが、いわゆる”スケート英語”は理解できる。立ちあがると、目にかかったクシャクシャの髪の毛を払いのけて、ほほ笑んだ。そして、頭を”うん、うん”と上下に振って、コーチの指摘を理解したことを示してみせた。

 

「踏切のタイミングが、たいてい間違っているんだ。彼は、長くため過ぎてから踏み切るからね」

 

3週間のシカゴ郊外滞在が日曜日に終わるまでには、彼は4回転ルッツと4回転サルコウの両方を着氷したとコーチは言った。

 

「4回転競争が大変だとは感じない」

宇野は、(昨シーズン)4つの4回転を成功させ、今シーズンはフリープログラムで5つの4回転を跳ぶつもりでいる。

 

4回転時代の男性トップスケーターにたいする要求は、どんどんエスカレートしていっている。

「みんなの進歩するスピードに驚いています。幸運にも、僕もその一人なので、このレベルで競うことが大変だとは感じていません」

 

宇野は、4回転フリップと4回転ループの両方を昨シーズンのレパートリーに入れた。2016年4月のコーセー・チームチャレンジカップで、競技会で4回転フリップを成功させた最初のスケーターになった。

 

2016-2017年シーズンには、18回の4回転フリップを跳び(すべてのショートとフリーで跳んだ)、18個すべてでフルの基礎点を獲得し、世界選手権の両プログラムを含む9個のジャンプにGOEで加点をもらった。

 

 

「宇野のジャンプコーチをしてみないか?」

 

2年前、彼は4回転ループに挑戦し始め、その様子をウリアシェフに見せた後から、二人はジャンプの技を磨き始めた。最初に競技で挑戦したのは、2017年の四大陸選手権で、2.43の素晴らしいGOEを獲得した。

 

宇野は、すばらしい4回転ジャンプを生み出すために、ウリアシェフと練習を始めた。ウリアシェフは、グレーシー・ゴールドが2013年秋にフランク・キャロルに師事を仰ぐために彼の下を去る前に、彼女をコーチして、全米ジュニア優勝、ジュニア世界選手権銀メダル、2013年全米2位の成績を獲らせた手腕を持つ。

 

「私たちは、ジャンプのコーチを探していました」と、宇野の母ジュンコは言う。

 

息子のコーチの一人である樋口美穂子は、グレーシー・ゴールドのジャンプを見て感動し、ウリアシェフが宇野を教えることに興味があるかどうかを知りたがった。宇野のエージェントであるコージ・オハマのリクエストで、エージェントであるimpresarioのAri Zakarianが、ウリアシェフに電話をして探りを入れた。

 

ウリアシェフが20年間教えているシカゴに宇野が初めて来たのは、2016年の夏。昨シーズン、宇野がウリアシェフを4回訪ねたうちの最初でもあった。

 

「彼らが僕に打診してきたときは、びっくりしたよ。僕は、世界でも全米でも、トップクラスのコーチじゃないからね」と、ウリアシェフは振り返る。

 

ウクライナ出身のウリアシェフは、世界的な若手トップスケーターを教えることに、楽観的ではなかった。だから、コーチを引き受ける前に、古い友人であるダラス・フィギュアスケート・クラブのコーチAlexei Letovに電話をした。

 

「アレクセイが、挑戦する自信をくれたんだ(やってみれば、と背中を押してくれたんだ)」

 

再び、ウリアシェフの元へ

2015年のジュニア世界選手権チャンピオンであり、2016年グランプリファイナルの最年少出場者である宇野昌磨もまた、ウリアシェフが何を期待しているか、よくわかっていなかった。

 

「最初、それぞれの練習にすべてをぶつけました。そして、肉体的にへとへとになってしまったんです。今は、トレーニングをよりコントロールし、バランスを取る方法を知っています」
「いい結果を出すことができたので、今シーズンもより多くのことを得たいと思って、ウリアシェフのところに戻ってきました」

 

昨年の練習の様子。スケートリンクが公開しています。


Uno 2

 

宇野は、2015-2016年の輝かしいシニアデビューシーズンの終わりに、トレーニングのし過ぎで調子が下降し、十分に競技ができなかったと感じていた。だからこそ、冬季オリンピックが開かれる韓国の江陵で開かれた4大陸選手権や日本の札幌で開かれたアジア冬季選手権、世界選手権の6週間前にルクセンブルクで開かれたプランタン杯に出場したのである。

 

「2年前は、4大陸と世界選手権のギャップがすごかったんです。4大陸ではうまくいかなかったので、自分にプレッシャーをかけ過ぎてしまって、つぶれちゃったんです。昨年は、競技会と競技会の間隔を開けないようにして、好調さを維持して、いつでも競技に出られるようにしました」

 

スケートに熱狂する国で脚光を浴びて

 

宇野は、フィギュアスケートに熱狂している国から、世界選手権銀メダリストとして今シーズンに突入する。オリンピックと世界選手権の金メダリストである、同じ日本の羽生結弦が、日本でものすごく人気があるので、宇野に注目が偏るのを防いでくれている。

 

「羽生選手は、尊敬する一人です。彼のスケートへの姿勢が好きです。もちろん、すばらしいジャンパーですが、バランスのとれた、オールラウンダーだと思います」

 

「自分の上に常に誰かがいてくれて、その後を追うのは精神的に楽です。でも、きっと彼(羽生選手)よりも長くスケートをすることになると思うので、願わくば、将来的にそういったプレッシャーを受け止める存在になりたいです」

 

名古屋出身の宇野は、トヨタ自動車と”健康にいい磁力宝飾品(彼が身に着けている)”をうたっているコラントッテと後援契約を結んでいる。来月、「宇野昌磨2018カレンダー」が、日本で全国的に発売される準備が整っている。

 

だが、小さなスター(彼の身長は5フィート、2 と1/2インチ) は、昨年、彼のスケートと才能によって注目されたことは、彼の生活に何ら影響を与えていないと話す。

 

「たぶん、多くの人が思っているほど、僕は通りを歩いていても気づかれませんよ。たまに、近づいてきて話しかけられることもありますが、そうしょっちゅうではありません。だから、うれしいんです」と、彼は言った。

 

日本で有名人なのかどうか尋ねると、宇野は返事を渋った。
「そういうのは、考えないようにしています」

 

スケートに専念するために、中京大学を一年休学している。今のところ、彼とウリアシェフは、オリンピックやものすごく強い男子フィギュアスケーターグループの中でも最強の羽生選手を打ち負かす方法にフォーカスしないようにしている。

 

「今シーズンは、取り立てて目標はありません。僕の最終的な目標は、今シーズンではなくて、将来に向けたものです」

 

宇野の最初の試合は、昨シーズンと同じく、来月イタリアで開かれるロンバルディア杯だ。グランプリシリーズは、10月下旬のスケートカナダと11月中旬のフランス杯。昨シーズン同様、12月下旬の全日本選手権のあと、ウリアシェフとさらに練習するために、シカゴに戻ってくる。

 

宇野は、「何かしてあげたい」と思わせる存在

 

ウリアシェフは言う。
「相手のことが本当に好きで、その人のために何かしてあげるのを幸せに感じることってありますよね。僕らは英語を話さないけれど、ショーマは、機嫌が悪い時でも、よりいい気分にさせてくれるような性格。お日様みたいに輝いているんだ」

 

ははーん。だから、ショーマは外出する必要がないのね。彼自身が、太陽と暖かさを氷上に運んでくるんだもの。

 

----翻訳ここまで

 

スポーツも芸術も、指導者によって大きく変わりますよね。ウリアシェフコーチ、ゴールド選手に去られたときは傷ついたようですが、宇野選手といいコンビ関係が築けてよかったですね。ジャンプコーチとして、ますます注目されることでしょう。