オオナゾコナゾ

種子島ぴー/九州出身、東京在住。夫と二人暮らしです。旅行のこと、フィギュアスケートのこと、香港のことを中心に、右から左へ流せなかった大小の謎やアレコレを、毒も吐きながらつづります。

さようなら、りんご日報

香港の話題は久しく書いていないけれど、

これだけは書いておこうと思う。

 

香港の新聞「蘋果日報(アップルデイリー、りんご日報)」が、

昨日24日で廃刊に追い込まれた。

 

「蘋果日報」が香港から消える。

かなり衝撃的なことである。

 

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私が香港に滞在していた1997年前後。

街のいたるところにある新聞・雑誌スタンドには、一番目立つ場所に「蘋果日報」が置かれていた。

 

普通の新聞もいろいろあったけれど、庶民の一番人気は「蘋果=ペングォー」。

標準語(北京語)が読めない一般人向けに、広東語で書かれていたこと。

安価だったこと。

そして、下世話なニュースや著名人のゴシップを、衝撃的なタイトルと生々しいカラー写真で報道していたからである。

 

私は、「蘋果日報」が大嫌いだった。

一面にデカデカと、事件現場の惨状や遺体の写真を掲載するからである。

 

新聞スタンドの前は、いつも反対を向いて通り過ぎ、

悲惨な写真が目に入らないようにした。

「亡くなった方への冒涜だ!!」と、いつも憤慨していたが、

あまり周囲の賛同は得られなかった。

 

タブロイド版から政治ニュースに力を入れる新聞になったのは、2014年の「雨傘運動」(民主化を求める市民が、雨傘を手に街を占拠した)の頃かららしい。

「50年間は一国二制度を認める」という約束でイギリスから返還されたものの、返還直後から、共産党はジワジワと香港に侵食してきていた。

 

元々、香港には、「政治を語るのはタブー」という空気があったけれど、

正面から「反共産党」の声をあげたのが、「蘋果日報」だった。

 

「自由香港」をけん引する新聞になったけれど、「雨傘運動」、「民主化デモ」から「幹部拘束・逮捕」「廃刊」に至るまで、あっという間だった印象がある。

 

1997年の香港返還の日、友人(香港人)が新聞スタンドで「蘋果日報」をまとめ買いした。

「香港が返還された日のことを、将来、子や孫に伝えるのだ」と言って。

 

「自由主義のイギリスから、共産主義になるのは怖くないのか?」と、私は聞いた。

友人は、不思議そうな顔をして私を見た。

「中華民族が中国に戻るのに、うれしくないはずはないでしょう」

 

あのときの「中華民族」という言葉が、とても印象に残っている。

 

今、あの友人はどう感じているだろうか。

それを問うメールや手紙を出すのも、危険な気がしてできない。

そんな状況に、今の香港はある。

 

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鴛鴦、普洱、熱可楽。香港で飲むとおいしいけど、日本で飲むとそうでもない飲み物3つ。

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香港に行くと、なんとなく飲みたくなるものがある。

それは、日本になくて香港だけにあるもの。そして、香港で飲むとおいしいけれど、日本で飲むとそうでもないと感じるもの。

 

鴛鴦茶(ユンヨンチャー)、熱可楽(イッホォロッ)、普茶(ポウレイチャー)の3つである。

 

鴛鴦茶(ユンヨンチャー)は、別名「おしどり茶」。コーヒーと紅茶をミックスした飲み物です。

香港人の友だちと初めて茶餐廳(チャーチャンテン:香港式の軽喫茶店)に行ったら、いたずらっぽくこう勧められるかもしれない。「鴛鴦茶(ユンヨンチャー)を飲んでごらん」。「ユンヨン」とは、広東語で「鴛鴦(おしどり)」のこと。鴛鴦茶は、コーヒーと紅茶をミックスした飲み物である。

 

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見た目は、カフェオレかロイヤルミルクティーかといった色あい。しかし、カフェオレのイメージで一口飲むと、「んんーっ??」となる。飲めないことはないと思う。「コーヒーと紅茶って、そこそこ合うんだな」と、思ったりする。

 

ただ、ドリップしたコーヒーと丁寧に入れた紅茶をミックスするわけではないから、味はあくまでもチープ。コーヒーも紅茶も粉末で、もっと言えば、業務用の缶に入った「鴛鴦茶粉末」をスプーンですくってカップに入れ、お湯を注いで混ぜている店主の姿が目に入ったりする。

 

コーヒーの苦さに紅茶の渋さが加わった味。と表現するとまずそうだが、茶餐廳(チャーチャンテン)のレトロな雰囲気の中で飲むと、まずまずである。

 

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アイスもあります。

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お土産に買いたい人は、スーパーの珈琲・紅茶売り場のあたりを探してみてください。

 

普洱茶(ポウレイチャー)は、香港人が高確率で飲むお茶です。

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日本人が飲茶レストランに行って、黙って席に着くと、ジャスミン茶が運ばれてくる。「日本人はジャスミン茶が好き」と思われているのだ。「いやいや、私はウーロン茶が飲みたいよ」という人は、テーブルを案内した店の人が背中を向けて去る前に「鉄観音(ティッグンヤム)!」と叫ぼう。さらに香港通に見られたいなら、「普洱(ポウレイ)!」と叫ぼう。さもなくば、再び現れたときには、店の人の手にはジャスミン茶の入った急須がにぎられていることになる。

 

香港人は、飲茶に行くと 「普洱茶(ポウレイチャー)」をよく飲む。コウジカビで数カ月かけて発酵させる後発酵製法で作られた代表的な「黒茶」の一種で、脂肪分解作用があるとされているからだ。

 

このお茶を飲みながら、油がたっぷり使われた点心の油分を胃から洗い流しつつ、何時間も飲茶をするのである。

 

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「香港人もジャスミン茶を飲まないわけではない」と、友人たちは言う。ただ、彼らが言うには、もともとジャスミン茶は、三流の安い茶葉を飲みやすくするために花を加えたものだった。だから、好んで飲むものでもなかったらしい。愛飲者が増えた現代では、高級なジャスミン茶も作られているけれど。

 

話を戻すと、「普洱茶(ポウレイチャー)」は、コウジカビで発酵させたものなので、飲むと、かすかにカビのような味がする。日本人は、あまり好まない味だと思う。そして、「黒茶」という名前の通り、最初に注がれるお茶は、ものすごーく黒く濃い。そこに何度もお湯をつぎ足しながら飲んでいると、やがて色がものすごーく薄くなって、「何時間、飲茶してるつもり? そろそろ帰りなはれ」の合図になるのである。

 

香港で飲茶をしながら普洱茶を飲むと、旅の気分が盛り上がって美味である。そして、「美味しいね」なんて言っていると、帰国する時に友人が大量の茶葉を持たせてくれたりする。しかし、日本で飲むとあまりおいしく感じないから不思議だ。

 

 風邪を引いたら熱可楽(イッホォロッ)

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香港では、コーラを可楽(ホーロッ)と言う。熱可楽(イッホーロッ)は文字通り、温かいコーラのこと。

 

初めてこの飲み物を知ったのは、香港映画の中だったような気がする。風邪を引いた彼女のために、彼氏が小鍋にコーラをドボドボ入れて火にかけ、刻んだ生姜とぶつ切りにしたレモンをガンガン入れて、ひと煮立ちさせる。それをふーふー言いながら飲むと、体が温まって風邪が治るというシーンだったと思う。

 

実はこれ、かなり香港では一般的な風邪を治す方法であるらしい。私も、風邪をひきかけて寒気がするときに、作ってみたことがある。なるほど、熱々のコーラは、身体の中からバブルがはじけるような感覚があって、悪くない。生姜が身体を温め、レモンのビタミンCも効きそうだ。コーラの甘みがあるので、砂糖を加える必要もない。

 

香港旅行の最中に風邪をひいたときは、熱可楽を注文してみるのもありだと思う。ただ、冷めるとマズイ。そーとー、マズイ。熱々のうちに飲まれることをおすすめしたい。

 

香港は10月がベストシーズン

6月~9月末の台風シーズンが終わると、灼熱地獄が一段落し、香港はベストシーズンに入ります。(近年は、10月に入っても台風がやってくることが多いので、油断はできませんが)。

 

街中のレストランには上海蟹入荷の垂れ幕が下がり、海鮮料理を食べに人々が離島へと向かいます。トラムの2階席やビクトリア湾をわたるスターフェリーのデッキで、心地よい風に吹かれながらぼーっとするのが、私のお気に入りです。

 

香港を訪れるなら、今の時期がベストです。

 

ツアーを選ぶときは、安さにつられて空港近くの不便な場所のホテルに泊まるコースを選ばれませんように。短い旅の時間を移動時間に取られてしまうことになります。

利便性を考えるなら、チムサーチョイやセントラル、コーズウェイベイからの距離を確認してください。

 

雑然とした雰囲気が好きなら九龍サイドのホテルを。ゆったりした雰囲気がお好みなら、香港島サイドのホテルがおすすめです。チムサーチョイは、観光客狙いのスリも多いので、特に高齢の方と宿泊されるなら、比較的治安のよい香港島サイドのホテルをお勧めします。

香港ひと昔話(8) 番外編 有名ビールのCMで香港人になった話

 求ム。広東語を話せる友人役

「ビール会社Kが香港でCM撮影をするらしい。女優N嬢の友だち役で広東語を話せる人を探しているから、すぐに履歴書をファックスして!」。

 

香港人の 広東語講師から電話があったのは、香港で広東語を勉強して帰国したばかりの頃だった。当時の私は、自分でもほれぼれするくらい、広東語を自在に話すことができた。

 

とはいえ、電話を受けてまず思ったのは、「自分なんかがTVに出て大丈夫なのか?」ということ。CM主演女優の友人役となれば、多少のセリフもあるかもしれない。

 

ちなみに私は、モデル志望でも女優の卵でもなかったし、人前に出て脚光を浴びたいと思うような容姿も持ち合わせていない。

 

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「それはちょっと、、、」と渋る私に、「没問題!! 急いでいるらしいから、すぐにファックスしてね」と強引な先生。最終的には、ダメなら書類で落とされるから大丈夫ということで、履歴書じみたものをファックスした。

 

 ほどなくして、「合格」という連絡とスケジュール表が届いたが、撮影場所は香港ではなく横浜のスタジオ。「香港にタダで行ける」と思っていた私は、がっかりした。

 

そして、「合格」も何も、女優の友だち役でもなんでもなく、ただの"エキストラ香港人"の役だった。

 

たぶん、エキストラ集めを頼まれた中国人人脈と制作プロダクションの間で、意志の疎通がはかれなかったものと思われる。

 

冷静に考えれば、日本人女優とその友だちが香港に行って広東語で会話をするというCMの設定自体、奇妙であることに気付きそうなものであるが。

 

 

広東語ピープルにも種類がある。

 

さて、寒い冬の朝、早朝から横浜の大きなスタジオに集められたのは、広東語を話す約30人の人々だった。

 

"広東語を話す人々"と言っても、いろいろな人がいる。広東語が話される地域は、香港とマカオ、広東省の一部、それに世界中の華僑たちである。

 

30人の内訳は、香港人4人、マカオ人2人、日本人は私一人。残りはすべて、中国大陸の広州市出身者であった。

 

広東語は文字を持たない"口語"なので、生活している地域や環境によって、使う単語や発音が変化していく。

 

あくまでも私の感覚だが、広東省出身者の広東語を聞いても北京語が混じっているようで理解できないことがあるし、マカオ人と香港人の話す広東語は近いが、マカオでは香港よりソフトでゆっくりな広東語を話す。

 

そんなわけで、日本という異国の地で集合した彼らも、大陸人は大陸人だけでグループになっておしゃべりし、香港人、マカオ人は静かに座っていた。

 

スタジオでは撮影が進んでいるのかいないのか、私たちは4、5時間、待合室で待たされたままだった。

 

待合室と言っても、屋外にテントを張ったような場所で暖房もなく、お茶やジュースといった水分の支給も一切なかった。

 

「夏の服装で来てください」と指定されていた私たちは、コートを着たまま震えているしかなかった。

 

はっきり言って、扱いは雑だったと思う。

 

アメリカ人のエキストラでも同じ扱いだったのか、フランス人集団でも同じように放置されていたのか・・・。たぶん違ったような気がする。

 

香港撮影の代わりに、香港の街をスタジオに再現 

やがて、私だけが撮影スタジオ内に呼ばれた。そこは、香港の街並みというか市場の一角が再現された、張りぼてのような空間だった。

 

CMの設定は、こうだ。-----女優N嬢が友だち2人と香港旅行に出かけ、市場の中にある屋台レストランで食事をする。新鮮な茹でエビを食べながら、ビールが美味し~い!! 

 

香港の屋台に日本の「一番〇り」の瓶ビールが置いてあるのか?という疑問はあったが、とにもかくにも、スタジオの手前には海鮮屋台のテーブルが置かれており、私は、立ち位置やライトを調整するための、N山嬢の代役だった。

 

日本語を話せるのが私のみだったというだけで、深い意味はない人選だったと思う。

 

やがて、楽屋方面がざわついてきて、N山嬢が到着。エキストラ全員が呼ばれ、私たちは張りぼてセットの中で、通行人の小芝居をすることになった。

 

私は大学生の男の子とカップルになり、市場で夕食の買い物をする恋人を演じた。「あの魚おいしそう! 買おうよ」みたいなことを話しながら、何度も同じ場所を行ったり来たり。

 

一方、N嬢の友人役には、劇団員のような女性が2人スタンバイ。N山嬢とは初対面のようであったが、改めてCMを見返すとそれらしく演技をしているので、プロとはそういうものなのだろうと感心する。 

 

エキストラのせめてもの抵抗

N嬢のスケジュールが押していたからなのか、撮影は1時間ほどで終了し、私たちエキストラは寒い待合室に戻され、ようやくお弁当と飲み物にありつけた。

 

すでに、夕方になっていたと思う。

 

お弁当は冷たく、飲み物も冷たいペットボトルのお茶。

割りばしの袋を破る手も、寒さでうまく動かない。

 

私はコンビニのお弁当のようなものは苦手だし、中国人は冷たい食事を嫌う。

それでもないよりマシなので、不満の声が漏れながらも、みんなが食べ始めた直後、

バーンと扉が開き、音声さんとディレクターがやってきた。

 

「街の雑踏の声を録音しておきたいんで、マイクに向かって、みなさん何かしゃべってください」。

 

食べかけのお弁当を横にどけ、しぶしぶマイクの前に集合した。

そして、「せーの、ハイ!」とディレクターが合図した瞬間、全員が声を限りに広東語で叫んだ。

 

「腹減った~」

「茶ぐらい飲ませろ」

「寒いんだよ」

「昼飯まだか」

「弁当まずいぞ」

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ぞんざいな扱いを受けた広東人エキストラたちの、せめてもの抵抗、いや復讐だった。

しかし、ディレクターは広東語がわからない。「もう一度おねがいしまーす。ハイ!」と、笑顔でキューを送ってくる。

 

そのたびに、

 

「腹減った~」

「茶ぐらい飲ませろ」

「寒いんだよ」

 

と、恨みの言葉が発せられた。

 

こんなめちゃくちゃな雑踏の声が流れたら、香港はどんな街だと思われるだろうか。

Kビールにとってもプラスにはならないだろう。

これも、エキストラをぞんざいに扱った制作会社の因果応報・・・

 

と思っていたが、オンエアされたCMは、音声がちゃんと録音し直されていた。

Kビールの中に、広東語がわかる人がいたのかもしれない。

香港ひと昔話(7) ピンクイルカもペリカンもいるよ!「香港の知られざる自然」。

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きっかけは、香港への修学旅行を勧誘する広告を見たことだった。

 

アピールポイントの一つは、「香港の知られざる自然」。

 

「香港の自然」と聞いて思い浮かぶのは、南Y島や長州島など離島の緑か、半山區(ミッドレベル)に出没する巨大ゴキブリぐらいのものである。

しかし、調べてみると、なんとあのビルだらけの香港の領土の70%が、自然区で占められているらしい。

 

どうやら香港人は、自然を守るために、残り30%の土地にわざわざ窮屈に暮らしているようなのだ。

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うーむ。見直したぞ!香港人。

でも、お金儲けに命を賭ける香港人に、そのような発想があるとは信じがたい。「香港地方甘細」(香港の土地はこんなに狭い)が口癖の香港人のこと、本人たちもこの事実を知らないのではないだろうか。

 

調べてみると、自然保護の考え方は、植民地時代のイギリスがもたらしたものらしい。ということは、中国がこれからどうするかは分からないところである。

今のうちに、「香港の知られざる自然」を見ておくべきだ。

 

「香港に自然があふれている」と言われてもピンとこない人も、「ペリカンがいる」とか「ピンクのイルカが生息する」と言われると、「おおっ」と興味がわくのではなかろうか。

 

 

香港北西部には、マイポー自然地区というラムサール条約で保護区に指定されている湿地帯がある。

ここには、絶滅の危機に瀕している珍しい鳥やペリカンも飛来してくると言うではないか。ペリカン好きの私としては、是非、挨拶に行かねばなるまいと駆けつけた。

 

が、鳥が来るのは秋から冬で、夏にマイポー自然地区のバード・ウォッチングツアーに参加した私は、静かな湿地帯を前に立ち尽くすのであった。

 

でも、ピンクイルカは何度も見た。

 

「香港には、世界中で一番ピンク色のイルカがいるんだよ」と友人に報告したら、「冗談でしょ」で片付けられた。

 

母と香港に行って、ピンクイルカツアーに招待したら、まったく乗り気でない様子。バスが埠頭に着くと、「あら、ピンクイルカは海にいるの?」。

 

母は、ピンク色のペンキを塗られたイルカを見に、水族館に行くと思っていたらしい。

昔、「ユニコーンのいるサーカス」を楽しみにして観に行ったら、頭に作りもののツノを付けられた山羊が出てきたことが、トラウマになっていたのだろうか。

 

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でも、 本当にいるのだピンクイルカは。

 

ピンクイルカの正式名称は、「チャイニーズ・ホワイト・ドルフィン 」。学術名「スウサ・チネンシス」。中国の珠海に生息するホワイトイルカと同種だが、香港に生息するイルカはピンク色である。子供の頃は灰色をしているが、成長するにつれて、とっても綺麗なピンク色になる。

 

なぜピンクなのかは解明されていないが、一説には香港の海が不透明で、外敵から身を隠すために海水と同じ色になる必要がないから、らしい。

 

香港からマカオ、中国あたりまでに、現在250頭ほど生息し、いつも香港の海にいるのは80頭位らしい。

 

主に空港のあるランタオ島周辺に生息しているが、個人で探しに行くのは難しい。

「香港ドルフィンウォッチ」という団体がツアーを主催しているので、それに参加した。

 

 

まず、バスで船の出る埠頭まで向かいながら、ピンクイルカと環境問題についての説明を受けた。香港のピンクイルカは、環境汚染のせいで絶滅の危機に瀕しているのだ。

 

香港のテレビでも、「環保(わんぽー。環境保護)」と言う言葉をよく耳にするようになり、同時にピンクイルカ問題が取り上げられることもある。

 

本当に、香港の環境汚染は進んでいる。家庭用排水の70%は海に垂れ流し。工場排水も垂れ流し。どんどん海が埋め立てられ、貿易都市ゆえに多数のタンカーが通っては、船底に塗られた有害物質を海に放つ。

 

加えて中国大陸からも、下水、有害な農薬を含んだ農業汚水、産業廃棄物が流入してくる。 さらに、人々がゴミ袋を海に投げ捨てたりもする。そもそもゴミの分別なんて行われていないに等しいのだ。

 

だから、香港人は香港の魚を食べない。海で泳がない。その墓場のような海に、ピンクイルカは住んでいる。

 

ツアーのガイドによれば、通常イルカの寿命は30から40歳。でも香港のイルカの寿命は、運が良くても20歳までだという。

 

「でも、発見される死体は、もっと若いイルカのものばかりです。それに、母親の母乳に有害物質が混じっているので、子供は生まれて34ヶ月でだいたい死にます。二頭目の子どもは、生存の可能性がもう少し高いです」

イルカの周産期は3年に一度。絶滅は時間の問題だ。

 

そういうわけで、ピンクイルカはどんどん減っており、ツアーに参加してもピンクイルカは探すのに遠くまで行かなければならなくなった。

 

しかし、その日は運が良かった。船が出港してから30分で、早くも発見したのである。

 

個度」(そこ!)。航海士の妻が叫ぶと、乗客は一斉に甲板に出た。

「邊度?」(どこ?)

「等陣!」(待ってて!)

 

乗客15人は、息を殺して水面を見つめた。

 

ピンクイルカは、一旦姿を見せた後、しばらく海中に潜って移動し、また息継ぎに水面に姿を現す。

 

その日の乗客は、インド人の一家、ドイツ人のカップル、マレーシア人の夫婦、香港人と日本人のカップルに私たちと国籍がバラバラであったが、船上に不思議な一体感が生まれた。

 

四方の海を見渡しながら、エンジンを止めた静寂の中でピンクイルカの登場を待つそれは、まるで神様が現れるのを待つような雰囲気だった。

天岩戸と天照大神。昔読んだ神話が頭に浮かぶ。

 

やがて誰かが叫ぶ。

「Here!」

ピンクイルカが姿を現す。なんと美しい桜色だろう。これほど美しい天然の桜色を、今まで目にしたことがあっただろうか。

 

香港のイルカは、水族館のイルカみたいに大きくジャンプしたりはしない。水面スレスレに、息継ぎする程度だ。それでも、ヒレの部分が見えただけでも、十分に感動的。それくらい、美しいピンク。

 

時々、ほんの少しだけ、水面でジャンプする。そのわずかな瞬間をシャッターに納めようとしても、うまくいかない。ピンクのイルカが見えるのは、ほんの一瞬なのだ。

 

こうなったら、自分の瞳にそのピンク色を焼き付けるしかない。

「Here!」

「Where?」

「Here!」

「Where

 

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私たちは 繰り返し叫びながら、ピンクイルカを追った。

ちょうどお産の時期で、子供のイルカもいた。灰色の子供を真ん中に挟んで、両側にピンクの大人イルカが並び、ジャンプしながら海の中をかけていく。

 

「あの子供のイルカは、無事に成長できるのだろうか」と思うと切ない。

その日は10頭のピンクイルカに会うことができた。

 

香港の人々は、こんなに身近にこんなに美しい生物がいることを、多分自覚していない。私たち日本人が、かつてあの美しいトキ(ニッポニアニッポン)を失ってしまった時のように。

文字もなければ辞書もない?! 香港ひと昔話(6) エロ本で広東語勉強

ひと昔前まで、香港には数軒しか本屋さんがなかったような気がする。

この場合の本屋さんというのは、ハードカバーの書籍や辞書を扱う書店で、雑誌類は「報攤(ポータン)」と呼ばれる新聞スタンドで買うのが一般的だ。

 

「いくらなんでも、本屋さんが少なすぎない?」。香港人に尋ねると、決まってこういう返事が返ってきた。「大陸人と台湾人は本を読むのが好きだけど、香港人は嫌いだからね」。

 

 「香港人は本が嫌い」というのには、訳がある。広東語はもともと文字を持たない言語で、しゃべっている言葉と書くときに使う言葉が違うのだ。話すときは広東語だけど、書くときは北京語。香港人は北京語のことを「国語=普通語」と呼ぶ。

 

ところが、この北京語の文字を読むとき、頭の中の発音は広東語である。

 

例えば、「見る」という意味の広東語は、話すときは「睇(タイ)」。書くときは「看」である。この「看」の広東語読みは「ホン」だか、北京語読みは「カン」。

 

さらに、香港人の中には、北京語は書けても話している広東語を文字に起こせない人が結構いる。普段書かないから、知っている必要はないのだそうだ。

 

会話では使っていても、文字では表わせない言葉もたくさんある。それらは、意味や発音をもとに、学者などが"造字・作字"して、新聞や雑誌などで使われ、定着するとそのまま使われていくという。

 

例えば、「より~」という比較級を表わす「ディー」は、英語の「D」や発音から作字した「的」を使って、

「もっと速く!」なら、「快D」「快」と書く。

 

北京語表記で「有没(あるかないか)」も、広東語なら「有」という字の横線を取って「無い」という意味で

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そんなこんなで、日本人は日本語の辞書を使うが、香港人は広東語の辞書を使わない。第一、私が広東語を勉強していた頃は、辞書なんて売ってなかった。香港大学の語学コースに短期留学した時、若い女性教師が、ようやく広東語辞典を編纂していたほどだ。

 

こういう状況は、日本人には理解しがたい。「なんで?」と、いろんな人に聞いたけど、はっきり答えてくれる香港人もまた、少ないのである。

 

唯一説得力のあった説明は、「広東語は、もともと文字を持たない言語だから、広東語を書くという機会はない。ただ、中国という国家としては共通の文字が必要だから、標準中国語である北京語が、統一言語として定着した」というものだ。

 

教科書も新聞も週刊誌も小説も北京語で書かれていて、普段の会話と文章の文法や単語が違うなら、「香港人があまり本を読まない」というのも理解できる。私だって、 古文や漢文の教科書や源氏物語の原文を読みたいかと言われると、腰がひける。

 

こうなると、 広東語を習おうとする外国人にとっては、まことに厄介である。 「広東語の本を読みまくっていたら、いつのまにかペラペラになっていた」なんてことには、ならないのである。

 

「"広東語の喋り言葉をそのまま書いてある書物"さえあれば、広東語が簡単に習得できるはずだ」。そう思うと、私はあきらめきれなかった。

本屋さんや「報攤(ポータン)」を覗いては聞いてみたが、答えはいつも「没(モウ)!」。


しかしある時、一人のご婦人が顔をしかめながら、小声で耳打ちしてくれた。「鹹書(ハームシュッ)」=「エロ本をご覧なさい」。

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「報攤(ポータン)」には、夜になるとエロ本・エロ雑誌の類がずらっと並ぶ。私は、売り子親父が忙しい時間帯を狙っては、本の中身をサッとチェックし、走って逃げたものだ。

 

そして、ある時ついに、湾仔のエキシビションセンターで開かれたブックフェスティバルの会場で、 しゃべり言葉そのままを書いてあるエロ本を発見!

 

有名な作曲家 黄霑(james wong)著の、「香港仔」 をはじめとするエッチ系小説だ。全種類7冊を買い占めた私を見るレジのアルバイト少年のまなざしは、「エッチな日本人」という軽蔑に満ちていた。

 

さて、苦労して手に入れたエロ本を使って、私の広東語は飛躍的に上達・・・しなかった。だって、内容がつまんなーい。

 

日記による告白形式で、「日記よ日記、どうして素晴らしい妻がいながら、私は他の女とも付き合うのであろうか」ってな具合で、弁明交じりの文章は、ページをめくれどもめくれども、期待したような内容はなく、最初は辞書を引き引き読んでいた私も、「えぇーい、つまらんわい!」ということで、 放り出してしまったのだ。

 

まあ、つまり私は、ただの「エッチな日本人」であったというわけだ。

目覚めれば「おてもやん」。香港ひと昔話(5) 華麗なるリラクゼーションの世界

香港といえば、全身マッサージや足ツボ、 エステなどのリラクゼーションが種類豊富で、格安なイメージがある。

 

香港映画にも、黒社会(暴力団)のボスが広々とした風呂につかった後、ゆったりとマッサージを受けるシーンがチョイチョイ登場する。

 

だから、香港駐在妻キヨミちゃんに、

「うちの旦那がよく行くサウナ(桑拿)が銅鑼湾にあって、 大浴場に入った後にテレビを見ながらジュース飲み放題で、そのあとマッサージしてもらうと、すっごく気持ちいいんだって」

と聞いて、即座にサウナ訪問計画を立てた。

 

まず銅鑼湾(コーズウェイベイ)のイタリア料理店で夕食。エスプレッソでお腹がいい具合にこなれたところで、サウナでまったりしようという夢のコースである。

 

場所は堅拿道東(キャナルロードイースト)。日本語の”サウナ”という文字が幼稚園児の字みたいなキヨミちゃんの旦那行きつけのサウナに到着すると、トランシーバーを持った小姐が入口に立っていた。

 

濃い化粧に、深いスリットの入ったロングスカートをはいている。

 

入り口正面には、2階に続く大階段。「映画どおりじゃないの!!」。否が応にも期待が高まる。

 

「Two! (2人)」。 キヨミちゃんが華麗な発音で美女2人の到来を告げるも、入り口の小姐の反応は冷たい。

 

キヨミ「We want サウナ!」

 

小姐「サウナではなく、マッサージだけですが、よろしいですか?」

 

キヨミ「えぇ!! サウナ、モウ(没)?」(サウナ無いの?)

 

小姐「没呀」(無いわよ)

 

キヨミ「 だってだって~うちのハズバンドは~サウナ、ヤウ(有)」<原文ママ>

 

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英語と日本語と広東語をめちゃめちゃにミックスした、万国共通で理解不能な言語をあやつるキヨミちゃんに恐れをなした小姐を見て、マネージャーと思しき男性が走ってきた。

 

マネージャー「どうした?」

 

小姐「この人がサウナに入りたいって言うんです」

 

マネージャー「サウナはないよ。マッサージだけだ」

 

キヨミ「でも~、マイハズバンドは~サウナ、ヤウ(有)」

 

キヨミちゃんの破壊された言語に硬直状態のマネージャーに「可唔可以冲涼呀?」(シャワー浴びれる?) と聞くと、「可以」 (浴びれるよ)という答え。

 

しかし、ここで言葉の落とし穴が。普通、香港でお風呂と言えば、シャワー。日本のように浴槽にお湯を張ってつかる習慣はない。

 

「浴槽につかる」とあえて表現したい場合は、「浸浴槽(ザムヨッコン)」。しかし、当時の私はそれを知らなかった。

 

 

薄暗い部屋に通されると、おばさんマッサージ師にペロンペロンの甚平さんみたいな服を渡されて、「 換衫(着替えて)」と言われる。

 

「 冲涼(シャワー)」としつこく食い下がると、「 わかってるわよ。着替えたら一人ずつ案内するから、ついてらっしゃい」と、おばさん。

 

だけど、変な部屋に連れて行かれて乱暴されたり、外国に売り飛ばされたりしたら怖い。私たちは顔を見合わせ、「二人一緒に行きます」と答えた。

 

「カモーン」とおばさんは言い、二人してついていくと、はたしてそこは、トイレのようであった。 それも従業員専用の、ものすごく狭いトイレ。というより”便所”

 

打ちっ放しのコンクリートの壁。みすぼらしい便器。そして便器の横には、掃除用のモップが立てかけてあった。

 

「シャワー係邊度呀?(シャワーどこ?)」。

「呢個(それだってば)」。

 

おばちゃんが力強く指差した先には、ちっぽけな水道の蛇口が付いていた。

 

もしもーし?

 

日本のスポーツクラブにあるような、気の利いたシャワールームを想像していただけに、びっくりだ。豪華なお風呂のはずが、従業員便所。しかも、水道。

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冷水を浴びせられたような心境とはこのことで、私たちは今まさに、冷水をかぶれと勧められているのである。

 

「サウナはないって言ってんのに、シャワーシャワーってうるさいから、従業員用のシャワーを貸してやれ」ってことみたい。

 

果敢にもキヨミちゃんは、「私、さっと浴びちゃうね」と言い、便所の中で服を脱ぎ始めた。私はといえば、扉の前に立って、彼女が誘拐されないように見張っていた。

 

再び部屋に戻った私たち。部屋は、冷房がガンガンにきいている。サウナで火照った体の熱を取るためだろう。しかし、私らは寒い。冷水を浴びたキヨミちゃんは、もっと寒い。

 

事前情報では、”ドリンク飲み放題”ということであったが、むろん男性用サウナ限定である。おばちゃんが「冷たいもの飲むか?」と聞いてきたが、寒さに震える私たちは、辞退した。

 

マッサージをしている間中、おばさん二人は愚痴りあう。


「どう、あんたの亭主、仕事見つかった?」
「見つからない。ずっと家にいるのよ」
「うちの亭主も小巴(ミニバス)の運転手だけど、給料が下がるらしくて」

「私も働き詰めで疲れてるのよね。あぁ、手が痛い」

 

なまじっか広東語がわかるばかりに、リラックスどころか暗い気持ちになっていく。もちろん、冷えきってカチコチの体に、マッサージが気持ち良いはずもない。

 

終わってレジに向かうとき、男性用サウナの入り口で、濡れた髪をドライヤーで乾かす男たちが見えた。湯気がホカホカ立って、幸せそうだ。

 

「一人258香港ドル」。レジの女が機械的に告げる。当時のレートで5000円近い。

 

お札を出すと、レジの女はお釣りを渡す素振りもなく、知らんふりをして他の従業員とおしゃべりを始めた。「お釣りは?」と聞くと、「あら、すっかり忘れていたわ」という下手な演技をしながら、しぶしぶお釣りを差し出した。 

 

 

 サウナがダメでも、エステがあるさ !

ということで、乾燥肌で目の下の小じわが気になっていた私は、ちょっと張り込んで、ホテルのエステに行くことにした。某ホテルの中にあった、今は無き有名店である。料金は、1万円ぐらいだったと記憶している。

 

予約した時間にお店に行くと、エステティシャンと呼ぶにふさわしいかどうか分からないような、おばさんが待っていた。

 

外資系のエステサロンにもかかわらず、おばさんは英語ができないようであった。施術を始める前に、「アト、ニジュドル、ニジュドル、モットキレイ」と、片言の日本語で迫ってきた。

 

いきなりの営業にびっくりしながら、「ノー サンキュー」と断っても、「ワックス モットキレイ、ニジュドルダケ」と、おばさんは粘る。

 

ワックスと聞くと、廊下に塗るネチネチした液体しか浮かばない。しかし、ワックスのイメージは”ピカピカ”。「20ドル追加すると、ピカピカ、ツヤツヤのいい女になる」と理解した。


「ok」 と言うと、おばさんは嬉しそうに微笑んで、施術を開始。温かい霧を顔に吹きかけられたりしているうちに、どうやら私は眠ってしまったらしい。

 

チクチクする感覚で目が覚めると、おばさんが私の顔にペンシルを突き刺しながら、眉毛を描いているところであった。いつのまにか、コースは終了に向かっていたのである。

 

仕上げにルージュを引いて「フィニッシュ、フィニッシュ」というおばさんの声で、すっかり美しくなった私は、起き上がって鏡を見た。

 

しかし、どうしたことだろう。鏡の中の私は、施術前より2割増しのブスだ。

 

厚塗りのファンデーションの上に、広範囲にぼかされた、京劇メイクのような赤いチーク。目の上には、眉尻が長く下がったトホホ眉。

 

口紅は、「今時こんな色、使わんだろう!!」というような、おばさんピンク。おまけに頭にタオルを巻いていたせいで、髪が真ん中からぱっくり割れて、顔に張り付いている。

 

ドブス。

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こう言っちゃなんだが、中国大陸の奥から出てきたばっかりの、「大陸おてもやん」みたいな感じである。

 

お金を払って田舎者に変身とは、なんてこったい!! この後の友人たちとのディナーが頭をよぎり、笑いものになることを恐れる私。一刻も早くホテルに戻って、自分でメイクし直さねば。私は、足早に店を出た。

 

帰りがけに、昨日一昨日と通ったCDショップに立ち寄った。

いつもは 瞬間的に外国人と判断し、にこやかな英語で話しかけてくる店員が、今日はべらんめぇ調の広東語で、ぞんざいに商品を包む。

 

この対応の違いは何なんだ? 私が「大陸おてもやん」だからなのか?

 

ホテルに戻ってメイクを落としながら、ますます深くなったような気がする小じわと、強引につぶされて跡が残ってしまったニキビを発見し、がっくりと落ち込んだ。


異国の地でリラクゼーションの境地を味わうのは、なかなか難しいようである。

食べることは闘いだ! 香港ひと昔話(4) カモカモ日本人

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香港人に言わせると、香港人の特徴は「古惑(ぐうわっ)」。ずるい、人をだまそうとする、という意味なんだそう。「香港人比較古惑D。小心啦!」(香港人は人をだますから、 気をつけた方がいいよ)と、香港人に言われてもなぁ、、、。


私の友人に古惑な人はいなかったが、商売がからむと、やはり「古惑」であった。

 

こちらが外国人だとわかると、すぐにだましにかかるほどだ。なにが嫌って、「だましのテクニックの手が込んでいないこと」。「これが日本だったら、絶対に許されないぞ」というバレバレの手を使ってだまそうとするのだ。「日本人はだまされたとわかっても、文句を言わんだろう」と思ってるってことだ。

 

 香港で最初にだまされたのは、佐敦(ジョーダン)の茶餐廳(庶民的な軽食喫茶店)。初めての香港で 右も左も分からない私は、地元民でにぎわう一軒の店に入った。地元の人が多いということはそれなりにおいしい、と判断してのことだった。

 

誰がどう見ても日本人顔の私が店に入っていくと、店主は日本語で書かれたメニューをひっつかみ、テーブルに置いた。 しかし、広東語の習得を目的に香港に来た私は、 テーブルに置いてあった中国語のメニューの読解に、 これつとめた。

 

メニューには写真も載っており、私はエビのいっぱい盛られた星州米粉(シンガポール風ビーフン)を注文。店主を練習相手にひとことふたこと会話練習などしたかったのだが、おやじは私など相手にしている暇はないとばかりに、そそくさと奥に引っ込んで行った。

 

待つこと30分。遅い。遅すぎる。「もう帰ろうかな」と思った頃合いを見計らって運ばれてきた星州米粉は、実に質素なたたずまいであった。

 

「なんか違うな」。とりあえず口に運ぶと、火の通っていない芯のあるビーフンと粉っぽいカレー粉の味が、口中に広がった。

 

「げろまずっ。"食の都香港"の名が泣くぞ」と思いながらもう一度メニューを見ると、大発見! 写真と違って目の前の皿には、海老の姿がどこにもないのである。ただのビーフン。それも炒める時間さえもケチったビーフンに、混ぜる時間を省略したカレー粉がかかっている代物だ。

 

「ちょっと、あんた、これどういうこと? 日本人をなめてるわけ?」と怒鳴って店を出ることができれば、かなり幸せだったと思う。 しかし小心者の私は、ほとんど手をつけずに料理を残すことで、ささやかな抗議の意志を表明することにした。

 

 

レジに向かおうと勘定書に手を伸ばすと、なんか変。

 

嫌な予感がしてメニューを見直すと、またまた大発見!! 中国語メニューの星州米粉は32香港ドル。日本語メニューの星州米粉は36香港ドル。

 

そりゃ、 私は中国語はわかりませんでしたよ。でも数字は万国共通じゃありませんか?それに、私は中国語メニューを見て注文したはずだ。

 

私はしばし悩んだ。 「言うべきか言わないべきか、それが問題だ」。日本人として馬鹿にされたまま帰国していいのか。

 

いやいやそうは言っても、 文句を言ったとたん、店の奥から黒社会(香港のや〇ざさん)の用心棒が現れて、中国包丁で切りつけられる、なんてことはないのか。

 

何しろ当時の香港映画といえば、必ずと言っていいほど舞台は黒社会で、主役はチンピラ。「香港のイメージ=黒社会」みたいな感じがあったのである。

 

店の奥を見ると、店主と厨師(コック)が顔を突き合わせ、 何やらニヤニヤしゃべっている。それを見た瞬間、怒りがこみ上げてきて、私は中国語メニューと日本語メニューの両方をつかんでレジに歩いて行くと、「埋單!!(お勘定)」と叫んでいた。


小走りにやってきた店主に「個價銭同埋呢個價銭鮎解唔同呀?(こっちの値段とこっちの値段、どうして違うの?)」と詰め寄ると、予想外に店主は動揺し、勘定書を手から落とした。

 

そして、「あれ、おかしいな~」みたいなことを小声でつぶやいて鉛筆で36香港ドルに×印をして、32香港ドルと書き直した。心臓をバクバクさせながらお釣りを受け取って店を出た私は、追手に斬り殺されるんじゃないかと恐怖に怯え、一目散に走り去ったのであった。

 

香港人の友人によると、日本人価格を設定しているレストランは、今でも特に九龍サイドにちょくちょくあるらしい。日本人と連れ立ってレストランに行き、いっしょに日本語メニューを渡された香港人の友人が、「同じ料理なのに、なんで日本語メニューのほうが値段が高いのか」と聞くと、レストランのオーナーはこう答えたそうだ、「日本語のメニューは、 同じ料理でも皿がデカいんですよ」。

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二重価格とは違うが、日本人に高い料理ばかり勧めるレストランの話は、枚挙に暇がない。

 

以前、大好きなスープ専門チェーン店があり、ランチセットがとてもお得だった。御替わり自由な本日のスープと白飯、選べるおかず一品にデザートも付いて、600円くらいだったと思う。

 

ところが、九龍サイドの店舗に行くと、日本人というだけで終日注文できる高い料理のメニューを持ってくる。これだと一品だけで、1500円とか2000円とかするのだ。

 

「Lunch menu,唔該(ランチメニューください)」と言っても、無言で高い料理のメニューを指さす。

 

「有没Lunch menu呀?(ランチメニューないの?)」と聞いても、無言で高い料理のメニューを指さす。

 

「而家唔係Lunch time咩?(今、ランチタイムじゃないわけ?)」と聞いても、無言で高い料理のメニューを指さす。

 

時には平然と、「没呀(そんなメニューないわ)」と答えたりする。周りの香港人は、みんなランチセット食べてますけどね。平然とそういうことをするのは、たいてい店のマネージャー風の女だ。

 

やがて、たくましくなった私は、「没呀(ないわ)」とクビを横に振られても、自分で店の中を歩き回り、ランチメニューを見つけ出すようになった。そうまでする私もすごいが、そうまでしてメニューを見せない店側もすごい。

*ひと昔前の愛すべき香港滞在記をまとめたものです。現在とは変わっている点があることをご了承ください。

蛇だったのかトカゲだったのか。香港ひと昔話(3) 蛇のスープ

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香港は寒い。特に夏は、レストランも映画館も「長居は無用」とばかりにキンキンに冷やされていて、冷蔵庫の中にいるようだ。

 

「冷房を止めて」と頼むと、温度を上げてくれることはあるが止めてくれることはない。なぜなら、冷房を止めると窒息してしまうから。この感覚は、日本人には理解しがたい。

 

  香港の街中は空気が汚いから、窓を開けて空気を入れ替えることができない。「換気扇を回す」という考え方がないらしく、冷房で空気を循環させるのだ。冷房が空気をきれいにするとは、日本の高性能エアコンでない限り考えにくいが、香港人にとっては、空気を動かすことが重要みたいだ。

 

冷房のおかげですっかり冷え性になり、「寒い、寒い」を連発していた私に、友人たちが口々に勧めてくれたのが、蛇のスープ。

 

いわく、「蛇のスープを飲むと体が温まり、二日後までもポカポカしている」と。

 

昔テレビで見た番組では、蛇問屋みたいなところに行って引き出しから蛇を取り出し、その場で殺して肝をお酒に浸して飲んでいた。ゲテモノ嫌いの私には、とてもムリな領域だ。

 

しかし友人達が言うには「蛇の肉は、鶏肉に色・形共に似ていて、 言われなければ気づかない」とのこと。

 

「どこに行けば飲めるのか?」と聞くと、「そこら中で飲める」という。

 

はたして、旺角をブラブラしていると、ありました「蛇王」の文字が。「蛇王」と名乗るからには、蛇を出すに違いない。

 

近づいてみると、店というより屋台に近い、小汚い店だった。客はおらず、隅の方で食事をしていた店員達が、いぶかしそうに私を見る。

 

テーブルに座り「碗蛇羮、唔該(蛇スープください)」。

 

30秒で出てきたお椀の中には、誰がどう見ても「お前、蛇だろう!!」という物体が、ぎっしりと詰まっていた。蛇を切り開いて縦に8等分したような細い肉片は、蛇皮がそのままついている。

 

蛇のスープ(蛇羮)は、とろみのついたスープで、汁気なんてほとんどなく、蛇、蛇、蛇なのである。しかし、これさえ食べれば暖かく慣れるはず。

 

思い切って口に入れた。 ジャリ、ジャリ、ジャリ。 肉より皮の感触が舌に残る。肉系の味は全くせず、陳皮(みかんの皮を干したもの)とショウガの味が、強烈にきいている。2種類の臭み消しが入っていることで、元はかなり生臭いことが予想された。

 

 

生臭いといえば、店全体もなんか生臭い。

 

と思って顔を上げると、なんと私の横に天井まで届くであろう檻(おり)があり、その中にトカゲがウジャウジャいて、金網越しに薄黄色の腹を見せている。

 

「ぎょえー!!」。後ろを振り返ると、そこにはアルコール漬にされた瓶詰の蛇が。

 

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今すぐにでも店を飛び出したいが、小心者の私は、「食べ残しすぎると店主に怒られるんじゃないか」などと馬鹿なことを考え、半分ぐらいまで食す。


そこへ一人の親父が私の前に腰掛け、「大!」と注文。常連客だろうか、親父の前には「これでもか」と蛇がうじゃうじゃ入ったデカ盛り碗がおかれ、親父は顔色ひとつ変えずに蛇を飲み込んでいく。

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ふと壁を見ると、当時、三級片(香港のポルノ映画)で人気を博していた俳優が、ガッツポーズを取っているポスターが貼ってあった。なんと、蛇のスープは精力剤であったのか(寒)。テーブルの上に小銭を置くと、私はダッシュで店を出た。

 

檻の中のトカゲの腹が目の奥に焼き付き、生暖かい爬虫類の匂いが体にまとわりついている。「一杯12香港ドルという激安の値段からしても、スープの中身は蛇ではなくトカゲだったのではないか」。そう思うと、体が温まるどころか悪寒と吐き気がした。

 

後日、友人達に「蛇王」の話をすると、「蛇のスープって、高級レストランで食べる料理のことだよ。そんな屋台、私だって行かないわ」と言われた。

*ひと昔前の愛すべき香港滞在記をまとめたものです。現在とは変わっている点があることをご了承ください。

「1日作さぎざれば、1日食わず」。香港ひと昔話(2) ヘンテコ日本語Tシャツで"日港友好"。

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日本のファッション、日本のテレビドラマ、日本の食品、日本のアダルトビデオ……かつて香港では、「日本ブーム」が花開いていた時期があった。日本直輸入のものもあれば、怪しい日本語のタグや包装紙のついた"似非日本製"の商品も大量に出回っていたのである。

 

映画『美少年の恋やお菓子のブランド優の良品のように、「の」をワンポイントで使ったネーミングで、おしゃれな印象を与える戦略も流行った。その総決算とも言えるのが、1998年夏の「日本語 T シャツブーム」だったのではなかろうか。

 

銅鑼湾(コーズウェイベイ)をブラブラと歩いていた時のこと。洋服屋の店頭を飾る Tシャツに目が留まった。

 

Tシャツの胸に書かれた文字は、「頭が低い」。

 

「頭が低いですと?」。分かったような分からないような妙な消化不良感が、深く心に残るフレーズである。近寄って手に取ると、腕の部分には「ジョーダンノ」の文字が。

 

「な~んだ冗談か」と思ったが、いや待てよ。この店の名前は『ジョルダーノ(GIORDANO)。泣く子も黙る、香港ナンバーワンカジュアルブランドなんである。

 

ってことは、「ジョルダーノ」→「ジョーダンノ」のミスプリントなのか?

 

何気なく周りに積んであるTシャツたちを見ると、「1日作さぎざれば、1日食わず」「まき来て下さい」「山ち渓谷」などなど、どれもこれもヘンテコな文字がプリントされている。

 

思わず「へへっ」と笑っていると、店の奥から店員が飛んできた。

 

「何笑ってるの?」と聞かれて、「だって、この日本語変だよ」と答えると、店員はさっと顔色を変え、「ちょっと待っててくれ」と言うと、社内放送でマネージャーを呼び出した。

 

すっ飛んできたマネージャーがたずねる。 「どのT シャツの字が間違ってるの?」。

「全部」。

 

マネージャーは、弾かれたように店の奥に飛んで行き 、どこかへ電話すると、やがて一枚のファックス用紙を手に戻ってきた。

 

ファックス用紙は、デザイナー宛の指示書のようなもので、普通語(北京語)で四字熟語やらコトワザやらが書かれていた。それを誰かが日本語に翻訳したらしい。

 

店員はファックス を私に見せ、そのへんからダンボールの端切とマジックを持ってくると、私に渡して「正しい日本語を書いてくれ」と言う。これも"日港友好(香港と日本の友好親善)のためと、私は一つずつ直していった。

 

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「一日作さぎざれば、一日食わず」は、「働かざる者、食うべからず」。「まき来て下さい」は「また来て下さい」。「山ち渓谷」は「山と渓谷」。「頭が低い」は「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」のようであったが、そんなに長い文章をTシャツにプリントしてもしようがないので、「日本人は〝頭が低い〟なんて言わない」とだけ伝えた。

 

この間、20分くらいかかったろうか。私はひそかに、「どうもありがとうございます。よろしければ、お礼にTシャツを一枚お持ちください」などというスイートな展開を期待していたのだが、作業を終えた私に「ありがとう」と言うと、マジックとダンボールの端切をもぎ取って、店員は店の奥に引っ込んでいった。

 

「天下のジョルダーノが、Tシャツの1枚や2枚や3枚、ケチってどうすんの!!」と思いながらも、「面白いから」と同僚のお土産に4枚ほど購入する私。しめて6000円の出費だ。

 

この件を香港人に話すと、「日本人は馬鹿だね、香港人なら、最初にいくらくれるか聞いてからやるよ」と笑われた。「今度頼まれたら、教える前にいくらくれるか聞いてからにしよう」と思う私の頭に、もう"日港友好"の文字はなかった。

*ひと昔前の愛すべき香港滞在記をまとめたものです。現在とは変わっている点があることをご了承ください。

香港ひと昔話(1) トイレ求めて三千里。待っていたのは鍵のかかった扉だった。

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香港で急性膀胱炎になりかかる日本人観光客は、多いらしい。

かくいう私も、何度、膀胱が破裂しそうになったことか。

 

香港の室内は、どこも冷房がかなり効いている。昔は、各家庭に冷房がなかったことから、冷房をキンキンにきかせることが、伝統的なサービスの一環になっているらしい。

 

設定温度はだいたい5度。冷蔵庫の中にいるような冷え冷えのレストランで、飲茶だなんだと水分をガブガブ摂取していると、トイレが異常に近くなる。

 

一回トイレに行くと、30分もしないうちにまた行きたくなる。

 

ところが、香港には公共のトイレがとても少ない。日本なら、駅に駆け込めば必ずトイレがあるけれど、香港の地下鉄にはない。さらに驚いたことに、一般的なビルのトイレには、鍵がかかっているのだ ! これは大変な衝撃であった。

 

ある時、買い物をしている途中で、ものすごくトイレに行きたくなった。天井に視線をうつし、必死にトイレのマークを探したけれど、どこにもそれらしきものがない。ジョルダーノなどのテナントが入った、そこそこの規模の商業ビルにもかかわらず。

 

「そんなバカな。絶対どこかにあるはずだ」と思って、ビル中を グルグル回っていると、非常口らしき通路の奥に、トイレと思しき場所を発見。

 

喜びいさんでドアを開けようとすると、これがびくともしないのだ。そもそも、ドアに取っ手がない。鍵穴だけあって、鍵を差し込まないと開かない仕組みになっているのだ。

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「えー、マジ?!」。トイレという空間そのものに鍵をかけるとは、なんたる非常 !

 

限界ギリギリ、泣きそうな顔をして「洗手間喺邊度呀?」(トイレはどこですか)と聞くと、顔面蒼白の私を哀れに思ったのか、一人の小姐がオフィスまで鍵を取りに行って貸してくれた。

 

香港では、一般的にビル内のトイレは、テナントに入っているお店や会社に専用の鍵が支給されていて、従業員以外は使えないようになっている。

 

語学学校でさえ自由にトイレを使えなかったのには、びっくりした。授業が終わるたびに「トイレの鍵貸してくださ~い」と事務所に一声かけていくのは、なかなかに恥ずかしかった。しかも、トイレで用をたし、ほっとして外に出た瞬間、鍵を中に置きっぱなしにしてしまった事に気づいて大慌て、なんてこともしょっちゅうだった。

 

「なんで、こんなめんどくさいことをするんだろう? そもそも、トイレを貸さないなんて、みみっちいんじゃないの?」

 

しかし、後に理由が分かった。香港のトイレは汚い。 すさまじく汚い。トイレットペーパーがないのはもちろん、便器の上にはこれでもかってくらい、お〇っこが垂れていたり、便器の周りがびしょびしょだったり。使い終わった紙や大〇さえも床に落ちていることもあった。

 

香港人でさえも、「香港人は自分の家はきれいにするのに、公衆の場をきれいにしようという気持ちがない」と嘆くほどだ。とても、赤の他人にトイレなんて貸せないのである。

 

私が一番疑問に思うのは、 便座の上に靴の足あと👣が付いていることが、 けっこうな頻度であることだ。一説には、便座の上に靴を履いたまましゃがんで、用をたしている人がいるらしい。

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しかし、それでは、一歩足を滑らせれば足ごと便器に突っ込むわけで、卓越したバランス感覚が必要とされるはず。その話を聞いてから、トイレから出てくる人の足元を見るようになったのだが、便器内に落ちたと思しき、靴が ビショビショの人を見かけたことは、まだない。

 

このようにトイレ探しに苦労するので、レストランで食事をした後は、必ずトイレで用をたしておくようにする。が、レストランのトイレがきれいかと言われれば、これまた食欲減退間違いなしの汚さだったりすることも。

 

庶民的な酒樓(大きな中華レストラン)なんかだと、トイレが詰まっていて、ポリバケツの水を手桶にくんで、前の人のものを流す、なんてこともある。食事の前後にトイレに行く場合は、くれぐれも周辺の景色を視界に入れないように心がけている。

 

近年は、超大型商業ビルがあちこちにできて、近代的な開放型トイレも増えた。しかし、広いビルの中でトイレを見つけてたどり着いても、出てきた直後に室温5度の寒さにやられて、再びトイレを探すはめになるのである。

 

トイレが近い人にとって、香港での悩みはつきない。

*ひと昔前の愛すべき香港滞在記をまとめたものです。現在とは変わっている点があることをご了承ください。