こんにちは。秋風が吹いて、マラソンの季節が近づいてきましたね。走るのが大嫌いな 種子島ぴーです。
本日は、太陽と海とジョガーの祭典--NAHAマラソンに参加したときのお話です。
NAHAマラソンは、毎年12月に沖縄で開かれる人気の大会で、私が参加した6、7年前は、3万3000人以上がエントリーしていました。
東京マラソンの定員が3万5500人なので、あんな感じをイメージしていただけるとわかりやすいと思います。
言っときますが、本格的な市民ランナーではありません。「リゾート地で走れたら楽しいよね」っていう軟弱な発想で、ハワイのホノルルマラソンを数回完走。ホノルルの参加料が年々UPし、便乗してホテルの宿泊料も高騰してしまったので、「じょーだんじゃないよ!」ってことで、急きょ、キャンセルして国内で走ることにしただけです。
ポイントを整理しておくと、
・低レベルの"にわか"ランナーであること
・NAHAマラソンに対する知識がとぼしいこと
以上をふまえて、話をすすめましょう。
スタート地点は、今、いずこ
出発地点の奥武山運動公園に行ってみると、ものすごいことになっていた。3万3000人のランナーがある1地点からスタートしようとすると、どうなるか?
こんな感じでーす。
スタートラインに並んでいるのは、招待選手や本格的なランナーの皆さん。残りの人々は、スタート地点のある公園の敷地内に、ヘビがトグロを巻くように並んで待ちます。
並ぶエリアが決まっていて、エントリーするときに自己申告したタイムの順番になっていました。私は、4時間を切ることを目標にしていたので、自己ベストタイム4時間20分で正直に申請。スタートラインから途方もなく離れた一角にスタンバイします。
前方にはすごい数の人。みんなそんなにタイム速いの?
いいえ。インチキタイムを申請した方々です。
本当は42.195キロを完走したこともないのに、スタートを有利にしようと3時間30分とかで申請している人がいっぱいいました。私もインチキタイムにすればよかった。
よーい、スタート! したかな?したよね?
さて、いよいよ、スタート時間になり、ドキドキして合図を待ちます。しかし・・・
しーん。
何の音も聞こえない。そうなんです、平和を祈念するNAHAマラソンでは、ピストルを使わずに、鐘を鳴らして合図にします。しかも、スタート地点から遠すぎる。ランナーたちの列も動かない。
結局、スタートラインを過ぎたのは、17分後のことでした。このタイムロスは、一切、考慮されません。
スタートしても、「走る」という状態にはなりません。人が多すぎるので、歩くといった感じでしょうか。しかも、インチキタイムを申請してスタートした人々が、前方ですでに歩いています。
おーい、まだ500メートル過ぎてないぞー
最初の15キロほどは、なんとかマラソンをしようとやっきになっていました。ダラダラと歩く人々の間をぬって走ったり、行列の外側から追い抜こうとしたり。雑踏の中で走ろうとして、前に進めない様子をイメージしてください。
このような走り方をすると、何倍も長い距離を走ることになり、ペースも何もあったものではありません。どんどん疲弊していきました。
そして、半分くらい過ぎたところで、どーでもよくなってしまいました。
沿道の人々との交流も、NAHAマラソンの魅力
こうなったら、走るのは止めてNAHAマラソンのもう一つの魅力、沿道で応援してくれる人たちとの交流を楽しむことにしました。
NAHAマラソンは、沿道の声援やボランティアの方々が温かいことで知られています。お店や会社の前で社員の人たちが総出で声援を送ってくれたり、地元の一般の方々が、お水や栄養補給のお菓子、フルーツをふるまってくれたりします。
当日はとても暑かったので、庭のホースをひっぱってきて、噴水のように水を巻いてくれた少年もいました。
太鼓を叩いてエイサーで鼓舞してくれる方々の姿も。うーん、盛り上がりますね。
おっと、その先に、サーターアンダギーを配っているグループが。あ~ありがたい。いただきましょう。ん? 思ったよりぱさぱさしてる。ってか、
口中の水分が全部吸い取られてしまいましたぞ。
気温28度の炎天下で、これはキビシイ。
「み、みずをくれ~」。ヨロヨロと走っていると、数メートル先で、白い紙コップを差し出してくれたご一家が。
「あ、ありがとうございます~」。お礼を言って受け取ると、
ア、アヂッ、アチチ
それは、紙コップのフチぎりぎりまで注がれた名物「ヤギ汁」であった。熱湯のように煮えたぎっていて、少しでも動くと熱湯で大やけどをしそう。
私はそろそろと道端に歩いて行って、ヤギ汁を側溝にそっと流した。うぅ、ごめんね~ヤギ汁さん。
再び、よろよろと走りだしたが、人ごみの中を走っているような状況は続いており、自分がどこにいるかもわからない。
と、ちりん、ちりーんとベルを鳴らして
道の真ん中に立っている爺さんが何か言っている。
はいよ~次の関門まで17分ね~
うぉー。忘れていました!実は、レースの途中に5つの関門が設けられていて、時間内にそこを通過しないと、強制的に走るのを止めさせられてしまうのです。そして、迎えのバスに乗せられて帰されるとか(ちりんちりん爺さん情報)。
まさか、関門ギリギリのタイムで走ることになるとは予想していなかったので、どこに関門があるのか、何時までに通過しなければならないのか、一切、調べてこなかった。
見えない敵と戦うがごとく、焦って猛烈にダッシュした。
すると、よくわからないが、関門を無事に通過したようであった。
ほっとして、再び、タラタラと走る。
すると、どこからともなく再び別の爺さんが現れ、
ちりん、ちりーん。次の関門まで25分だよ~
と、おふれを出すのである。
どうやら、5つあるうちの最後の2つの関門に引っ掛かりそうだったらしく、それはパスすることができたようだ。しかし、最後の関門が待っていた。
それは、ゴール。
鉄扉が無慈悲に閉まるとき
ゴールにも制限時間があるのだか、情けないことに、その時間も把握していなかった。
と、前を走っていた市民ランナー風のおじさんと若者の会話が聞こえた。
「あと3キロだから、1キロを毎分×秒で歩けば、ゴール時間に間に合いますよ」。
なーるほど
この市民ランナー風のおじさんに付いていけば、ゴール時間に間に合うに違いない。マラソンをする人はタイムを計るので、通常、計算に強いのだが、私は計算に弱いうえに、情報もなく、脳ミソも疲れている。
私は後をついていった。が、速い。スピードが速すぎる。おじさん、速すぎるよ。しかし、遅れを取ったら完走できない。おじさんは歩き、私は小走りで続く。
しかし、人が多すぎて前に進めない。
そうだ、歩道を走ろう!!
私は、歩道に立って応援している人々の後ろの空いたスペースをひた走った。これ、ルール的にはどうなの?
ゴールの奥武山陸上競技場に近づくと、ものすごい数の人々がゾロゾロと歩いて競技場に向かっていた。
「何でこんなに人が多いんですか?」と近くを走っていた人に聞くと、
「制限時間になると、競技場の外の鉄の扉がガシャーンとしまって入れなくなり、間に合わなかったランナーが扉の外で泣き崩れるんです。その名物シーンを見に、みんな集まってくるんですよ」
と、笑顔で教えてくださった。
なんですとー!? そんな残酷な大会だったの?
私の頭の中に浮かんだのは、
1.そんな恥ずかしい姿を見物されるのは、絶対に嫌じゃ
2.完走できなかったなんて、友人たちに知られたくない
3.完走するともらえる琉球ガラスのメダルを絶対いただくぞ
走れー!! 走るんじゃー!!
私は、ノロノロと歩く人々をかき分け、死に物狂いでひた走った。
そして遂に、目の前に競技場の鉄扉が見えた。周りには、見物人たちが大勢集まっていた。
競技場に飛び込み、「よっしゃー」と思ったが、目の前にはトラックが広がっていて、ゴールはまだ先のようだった。
競技場に入ればセーフなの? それとも、ゴールテープを切るまで?
わからん。だから、もー、むちゃくちゃに走った。泣きそうだった。感動の涙ではない。恐怖の涙だ。
ようやく、FINISHゲートをくぐったときは、達成感より恐怖から解放されたような気分だった。
そして、いただいた琉球ガラスの完走メダルはこちら。
走り終わって、あらためて思ったことは、
走るってすばらしい!!
私、走るのあんまり好きじゃないかも。
ってことでした。
それに気付かせてくれた、NAHAマラソンよ、ありがとう!!
あれ以来、マラソンすることもなくなったが、夏の終わりに各種マラソン大会のエントリー案内を見ると、「いつかまた走ってもいいかな」と思ったりする。
そして、琉球ガラスでできた重たいメダルが、「止めとけ」と心にやさしいブレーキをかけてくれるのである。