オオナゾコナゾ

種子島ぴー/九州出身、東京在住。夫と二人暮らしです。旅行のこと、フィギュアスケートのこと、香港のことを中心に、右から左へ流せなかった大小の謎やアレコレを、毒も吐きながらつづります。

アルトゥニアン、本田真凛を語る。ジャパンタイムス抜粋訳「前から彼女の演技を目に留めていた」

こんばんは。ザギトワ選手に秋田犬を送る話が、なぜこんなにニュースになるのかわからない種子島ぴーです。

さて、アルトゥニアンコーチの元で、新しいスタートを切った本田真凛選手。このまま沈んでしまうのはもったいなさすぎるので、捲土重来を期待したいところです。

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ジャパンタイムズのICE TIMEに、アルトゥニアンコーチのインタビューが載っていました。事実がわかって興味深かったので、翻訳します。(一部、まどろっこしい部分は意訳)

www.japantimes.co.jp

★思いのほか記事が長かったので、本日は途中まで。浅田真央ちゃんの名前も出てくるので、後日、もう少し先まで追加で訳します。

 

アルトゥニアンは、ティーンエージ・スターの本田真凛を教えることを楽しみにしている。

アルメニア出身のコーチ ラファエル・アルトゥニアンは、今、ちょっとしたデ・ジャ・ヴュを感じている。日本の若き天才 浅田真央を引き受けてから12年ほど経って、本田真凛で同じ経験をしようとしているのだ。

3月にミラノで開かれた世界選手権でネイサン・チェンを優勝に導いたアルトゥニアンは、さえないシニアデビューシーズンを送り、平昌オリンピックに出場することができなかった本田真凛を、サポートする役目に選ばれまた。

本田をコーチすることになった経緯について尋ねると、「このオフシーズンには、たくさんの大きな変化があるね。オリンピックの後はいつもそうだ」と、彼は答えた。

「私は、自分から誰かにアプローチすることはない。真央にも自分からはアプローチしなかった。ジェフリー・バトルにもしなかった。どうしたもんか、彼らは私を見いだして、コーチしてくれないかと言ってきたんだ」

アルトゥニアンは、2016年のジュニア世界選手権チャンピオンである本田が、様々な競技会で、彼の目を引いたと認めた。
「彼女のことは、前から知っていて、いくつかの競技会で目にしていた。彼女は、頭が良くて、美しい女の子に見えたよ。彼女はいつも頑張っている。彼女に対して私に何ができるか、そのうちわかるだろう」

アルトゥニアンは、京都で濱田コーチに教わっていた本田を、2年間見ることを保証されなければ、彼女を引き受けないことを明確にした。

「彼らに、私に時間をくれるようにと提案したんだ。私の指導法を理解するために、少なくとも2年はかかるからね。それで、彼らは私に2年くれると約束したんだ。彼らが約束を守ることを願っているよ」

(略訳)本田への称賛を口にしながらも、今後どうするかは、ISUが来るべきシーズンに向けて何を変えるのか、正確な行動指針を決めるのを待っている。

「彼女はすばらしいし、よいスケーティング技術を持っている。演技の流れもいい。ジャンプも上手い。でも、6月にスペインのセルビアで開かれるISUの総会で、どんな新システムが採用されるのかを見てからだね。彼らが何を考えつくか、私たちはわからないので。だからこそ、本田たちに2年くれって言ってるんだ」


次のシーズンに向けての本田のプログラムづくりは、すでに始まっている。
「ローリー・ニコルが、フリーの振り付けをすでにやっている。とても美しいプログラムだよ。ちょっとユニークなプログラム。とてもユニークだ」

 

真凛陣営から接触があったのは、11月のNHK杯

「本田を日本メディアのスポットライトから遠ざけることが、彼女にとって有益だと思うか?」と尋ねると、「真央と同じだよ」とアルトゥニアンは思い出すように言った。

「それこそが、彼女たちが日本を離れてカリフォルニアのレイクウッドまで来る理由だろう。真央は米国に来て、いくつかの場所を試した。それから、日本に戻った」


アルトゥニアンは、真央と姉の舞を2006年の夏から2008年の1月まで教えていた。アルトゥニアンと仕事をしたことで、真央は2007年に東京で開かれた世界選手権で、銀メダルを取った。安藤美姫に、あと少しのところで敗れて金メダルは逃したが。

アルトゥニアンの元を離れてから2カ月して、真央はコーチ不在の中、スウェーデンのゴーテバーグで初めて世界選手権の優勝タイトルを取った。

「真凛が、他のコーチにも打診したかどうかはわからない。ここで起こったことは、最初に彼女が来たとき、私は彼らに言ったよ。『直ちにここに移るなんて考えないで。気に入るかどうか、トライアウトしていいから。私は、あなたたちのやり方を見ます』と。彼らは気に入ったみたい。私も、彼女が本当に気に入ったよ」

 

本田陣営からの最初のコンタクトがどのようになされたか、さらに聞いてみると・・・アルトゥニアンは、それがいつだったかを思い出した。

「大阪で11月に開かれたNHK杯だ。真凛の父親と、ちょっとした会話をしたんだ。彼が近付いてきたんだけど、それ以前に会ったことはなかったな」

「彼らが接触してきて、トライアウトをしたいって言ったんだ。いいアイディアだと思ったよ。知らない相手をコーチしたいとは思わないからね。私は、自分の生徒を教えるので手一杯だから(I’m so busy with my own kids.)、他の選手のことなんて見ていないのでね」

I’m so busy with my own kids.

 

 記事がとても長いので、本日はここまで。アルトゥニアンコーチも真凛ちゃんのお父さんも、子どものことを真剣に考えているんだなーと思いました。