フランク・キャロルコーチ、本日退任
こんにちは。37度の東京で、頭がくらくらしている種子島ぴーです。
名古屋は40度超え・・・週末、「THE ICE」を見に行くのですが、大丈夫なのか・・・アイスリンクの中に入ってしまえば大丈夫だとは思いますが。
さて、毎年、グランプリシリーズで見ていた選手たちが引退するのは寂しいことですが、コーチがいなくなるのも寂しいもの。
どの大会にも、リンクサイドに鎮座する「ゑびす像」のように、当たり前にそこにいたフランク・キャロルコーチが、本日付けで退任されます。
退任するに当たって、フランク・キャロルコーチが、率直に気持ちを語っているインターナショナル・フィギュア・スケーティングの記事を意訳します。
インタビュー要約
- 選手の人生や試合の結果に責任を負う生活は、もうお腹いっぱいです。
- 80歳にもなって、飛行機で長距離移動をする生活は、もうお腹いっぱいです。
- これまで貯めたお金で、好きなことをやって余生をエンジョイしたいです。
- かといって、だらだら過ごすのは性に合いません。
- またアートの勉強をしたいです。
- 世界一かわいい、私のワンコたちと過ごしたいです。
FRANK CARROLL RETIRES By Susan D. Russell
Frank Carroll Retires – International Figure Skating
60年間に及ぶコーチ業を終えて、フランク・キャロルが看板を下ろす。
最後の一日は、8月3日になるだろう。
先週、コーチのアイコン的存在だったフランク・キャロルの退職を祝う感動的なパーティーが、トヨタスポーツセンターで催された。
「理事がスピーチをしたのですが、その途中で彼女が泣き始めて、みんなも泣きだしました。それで私は、彼らの人生に自分がどのような意味を持っていたかを知ったのです」
コーチを始めたきっかけ
キャロルのコーチとしてのキャリアは、マサチューセッツ州ウースターのホーリークロス大学の最終学年だった、20歳のときに始まった。
「私のコーチだったマリエル・ビンセント・オーウェンが教えていた、ロードアイランド州プロピデンスのリンクで働いていました。彼女は、私がプロに転向したので、烈火のごとく怒りました。でも、その後、私を受け入れ、助けてくれました。そして、スケートを教えてはどうかと、提案したくれたのです」
「私は、アイスショー『Ice Follies 』で4年半、演技をしました。また、ツアーを指導してもいました。コーラスボーイやショーに来てほしい主役級のスケーターたちに教えていたんです。
コーラスボーイの中には、スケートがうまくない人たちもいたので、上手くならせるために、ジャンプやステップを教えました。で、彼らは、スケート教室をやろうと主張したんです」
コーチとして数々の選手をトップへ
キャロルは、リンダ・フラティアンヌ、ミシェル・クワン、エヴァン・ライサチェクを世界選手権のチャンピオンにし、ライサチェクを2010年のオリンピックで金メダリストにした、コーチとしての手腕を持つ。
今後について
この先のプランは特にないが、米国フィギュアスケートのジュニア育成プログラムには、引き続き携わっていきたいと考えている。
「そうすれば、活動的でい続けられる。あちこち飛び回ると思うけれど、毎日、そうする必要はないのです」
「もう80歳なので、これ以上、スケーターに対して責任を負いたくないんです。ヨーロッパやアジアに向かう飛行機に乗りたいとは思わない。人生で、ものすごい回数、飛行機に乗って来たから・・・みなさんには、想像もつかないくらいにね。ものすごく、ものすごく、ものすごく長い時間です。今後、もし旅行するなら、自分の楽しみのためにしたいね。責任のある旅はしたくないよ」
「もう試合に行きたくないんだ。連盟や選手、それに伴うストレスに対して責任を負いたくない。人生の今の時点では、余暇を過ごし、やりたいことをやりたいと思います」
「だから、(余暇に対する)スケジュールを組もうと思う。アートの授業を受けたいと思っています。私は、ウースターのアートスクールに行って、なかなか優秀だったんですよ。ですから、またスケッチをして、絵を描き、アートワークをしたいと思っています。ちょっぴりスケートを教えて、子犬たちと一緒に過ごしたい。私の子犬たちは、最高にかわいいですよ」
「今まで貯めてきたお金で生活を楽しみたいし、大切な人たちと共に過ごしたい。金曜日の夜にNYからエヴァン・ライサチェクが会いに来てくれて、ディナーを食べたよ。彼は、やさしいよね」
「毎日、やることを決めるつもりです。だらだら過ごすつもりはありません。座ったまま何もしないなんてことはありません。絶対、アクティブでいたいです」
(完)