オオナゾコナゾ

種子島ぴー/九州出身、東京在住。夫と二人暮らしです。旅行のこと、フィギュアスケートのこと、香港のことを中心に、右から左へ流せなかった大小の謎やアレコレを、毒も吐きながらつづります。

「演じることでデニスの才能を伝えられる」。セルゲイ・ヴォロノフ選手インタビュー翻訳。

こんばんは。一気に気温が下がってきて、体調管理が難しい種子島ぴーです。

 

さて、先日の「THE ICE」で、故デニス・テン選手が振付けた新フリープログラムを、全身全霊で演じていたセルゲイ・ヴォロノフ選手。

シーズン前にも関わらず完成度が高く、気迫がこもった演技でした。

オリンピック出場を逃した直後から、「現役を続けるかもしれない」と話していた強靭な精神力にも感服です。

 

現役続行&デニス・テン選手との最初で最後のコラボについて語った、「GOLDEN SKATE」の記事を、抜粋して翻訳してみました。意訳が含まれていることをご了承ください。

 

「私は滑ることを選んだ」

goldenskate.com

ロシアのセルゲイ・ヴォロノフの名前を、2018-2019年のグランプリシリーズのリストに見つけて、驚いた人もいるでしょう。

30歳のスケーターが、スケートを続けるとは思われていませんでした。特に、昨年12月のロシア国内選手権で4位になって、オリンピックに出場できなかったとあっては。


しかし、ヴォロノフは、好きなことを続けることを決めました。それは、トレーニングすること、大会に出ること。

「考える時間が必要でした。私は、自分の内なる声に耳を傾けます。自分がどうしたいのか。他人からのアドバイスではなく、自分にとって何が必要でそうでないかによって行動するんです。自分で決断できたこと、まだ滑りたいと思えたことをうれしく思っています」

ヴォロノフは、2年間コーチをつとめたインナ・ゴンチャレンコがモスクワのロシア陸軍中央クラブを去ったために、コーチを変える必要がありました。

彼自身はクラブに留まり、エレーナ・ボドレゾワのグループで練習しています。

(中略:新コーチに関する感謝など)


昨シーズン、グランプリファイナルに出場したヴォロノフは、プログラムを作るのに新しい振付師を探していました。そして、5月の終わりに、デニス・テンと仕事をするために、カザフスタンへ行ったのです。

「あれは、自発的に決めたことです。フリープログラムを作らなくてはいけなくて、何か新しくて、今までと違うものを探していました。何の気なしにインスタグラムを見ていたとき、デニスが書いたものをしばしば目にしていたんです。で、ふと思いました。『デニスに手紙を書いて見よう』と」

ヴォロノフはデニスに連絡を取りましたが、デニスは、「プログラムを作ってほしい」というヴォロノフの願いに驚いたそうです。

「彼は『僕がプログラムをめちゃくちゃにしちゃうんじゃない? 』と言ったけど、僕ははっきりと確信を持って言いました。『ううん、デニス、大丈夫だよ』と。お世辞で言ったんじゃない。僕はデニスをとても信じていました」。

カザフスタンに向かう時、ヴォロノフは曲を用意していましたが、デニスはカレオの『Way Down We Go』を使うことを提案。

「僕は別の選択肢を提案したけれど、デニスが説得してくれたことに感謝しています。とても悔やまれるのは、今となっては、『デニス、君は正しかったよ』と、彼に手紙や電話で伝えられないこと」


「僕らは、興味深く創造的な議論をしました。僕が折れた形になりましたが、今では、彼がどれほど正しかったか理解しています。彼は、音楽をものにしていました。すべてが、彼のテイストになっている。彼以上に、僕のプログラムを良くしてくれる人など考えられません」

7月19日に、デニス・テンが非業の死を遂げると、このプログラムは特別な意味を持つものになりました。

「打ち明けると、このプログラムを滑っているとき、様々な感情があります。まず、音楽について・・・いくつかの歌詞に、人生における運命のようなものを示唆する言葉があります。僕は、デニスの元へ導いてくれた運命と、彼と仕事をする機会を与えてくれたことに感謝しています」

ヴォロノフは、デニス・テンがプログラムを振付けた、唯一のトップスケーターとなりました。

「残念なことに、彼が振付師としての腕をふるえたのは、僕のためだけになってしまいました」と、2度のロシアチャンピオンは言います。

「僕がもっとも大切にしたいのは、フィギュアスケート界だけにとどまらず、自分がどこで演じようとも、デニスがどれほど才能にあふれ、多才な人であったかをわかってもらうということです」

ヴォロノフは、さらに続けた。

「デニスは、有名な成功したアスリートというだけでなく、振付師でもありました。彼は趣味がよく、高い知性に裏打ちされた独自性がありました。それは、僕が思うに、スケートにおいて重要なことです。本当にお世辞ではなく、僕はデニスを尊敬していたし、彼の演技をよく見ます。なぜなら、学ぶことがたくさんあるから」(中略)

7月の終わりに、ヴォロノフは、毎回楽しんでいる日本でのショーに参加する。
「日本は素晴らしいよ。他の国では、あれほど温かくは迎えてくれない。大阪や京都という都市、そして人々はとても親しみやすいんです。とても素敵で、大きな経験です」(中略)


ヴォロノフは、ロシアの国内選手権の他に、グランプリシリーズのスケート・アメリカとNHK杯、さらにオンドレイ・ネペラ杯に出場予定です。

(訳終了)