こんにちは。グランプリファイナルに、ボーヤンとコリヤダ君がいないことが、ちょっぴりさびしい種子島ぴーです。
2人とも、どうして調子が悪かったのか気になっていたのですが、ボーヤンのインタビュー記事が見つかったので訳します。
もちろん、ビザ発給問題があったからだとは思っていましたが、そのほかの話もあって、興味深い記事でした。
ジン・ボーヤン、停滞気味の今季を語る。
NBCスポーツ:Writer Feng Xiao interpreted the Jin interview.
フランス、グルノーブル(フランス大会)より----
2016年、2017年の世界選手権銅メダリストである中国のジン・ボーヤンは、過去3年間にフィギュアスケート界を席巻した「4回転ジャンプチーム」の一員とみなされている。
平昌オリンピックでは4位だったが、もう少しで、オリンピックでメダルを手にした中国男子シングル初のフィギュアスケーターになるところだった。
ボーヤン本人は、メディアからのプレッシャーと物流上の問題のせいで、秋のグランプリシリーズでは、あまり期待を抱いていなかった。
それは、メディアからのプレッシャーと移動上の問題に起因するものだった。
ハンマーで殴られたような衝撃
事の始まりは、夏。中国の連盟が、ボーヤンが拠点をトロントに移し、ブライアン・オーサーのキャンプでトレーニングをすると発表したことだった。
ボーヤンは、ハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。
「ものすごくプレッシャーを感じました。メディアからも、友人たちからも」と、通訳を介してボーヤンは話してくれた。
「プレッシャーに押しつぶされました。でも、今は、それを語るのにふさわしい場ではありません。競技会でなぜこのような結果になったかを知りたいのですが、原因はそれらのせいではありません」
ボーヤンが中国に留まるだろうということは、すぐに明らかになった。
そして、2つのグランプリ大会への到着が遅れた。ヘルシンキのフィンランド杯では、パスポートの名前と航空券の名前が違っていた。
続いて、フランス杯。
「フランスに向かわなければならない日に、まだビザを受け取っていませんでした。まず、次の日のフライトを取りなおさなければなりませんでした。次の日には、ビザを手にできると思っていましたが、午後17時半になっても、まだ発行されませんでした。フランス大使館は、18時に閉まるというのに。結局、深夜2時の飛行機に乗らなければならなかったんです」
彼は、木曜日に氷の上に乗ることができたが、すでに競技が始まる前日になっていた。
「グルノーブルでの練習は、かなり上手くいきましたが、試合で滑るだけの自信は持てていませんでした。精神的に大きな問題を引き起こしたわけではありませんが、3回もフライトをキャンセルすれば、間違いなく、気持ちが不安になるものです」
ハッピー・ボーヤン
しかし、グルノーブルで、目に見えた確かなことがあった。ボーヤンは、芸術性が大幅に進歩していたのだ。
「大会の後、コリオグラファーのローリー・ニコル先生と、多くの時間を過ごしました。そして、競技会で僕がどんな姿を見せられるか、話し合いました。ローリー先生は、僕にハッピーなスケーターであってほしいと言いました。“ハッピー・ボーヤン”って。彼女は、僕に自信をくれました」
ボーヤンはまた、あまり知られていない、個人的なヒストリーを少しばかり話してくれた。それは、ネイサン・チェンと共通することだが、バレエを習っていたという過去だ。
「子どもの頃は、ダンスがうまかったんですよ。バレエ、ラテンダンス、ジャズを習っていました。スケート競技を始めてから、時間が足りなかったので(または、小さかったので)、バレエのことは忘れて、ジャンプを学び始めました。ジャンプに集中する必要があったから、バレエのことを忘れちゃったんだと思います」
「ダンスをまた始めて、自分が本来、理想としているスケーターに近づいていると感じます。動きを習うために、自分でフラメンコの先生を雇っています。それから、芸術性を磨くために、たくさんのショーやテレビビデオを観賞しています」
(終)
しかし、フランス杯のジャッジはひどかった。
世界選手権で、ハッピーなアーティスティック・ボーヤンに会えるのが楽しみですね!!
そして、ジャッジのみなさん、フランス杯のボーヤンのセカンドマーク、低すぎじゃありませんか? 曲の解釈もつなぎも構成も5点台付けてるジャッジとか、なめとんのか!! 政治的すぎて、ドン引きです。