こんばんは。種子島ぴーです。
今年の1月に、性的暴行で告発されたジョン・コフリンが、真相がわからないまま自殺してしまったとき、どうとらえればいいのか戸惑いました。
擁護する発言をするスケーターもいたし、元パートナー選手が擁護から一転して告発する側になったりしたからです。
現在までに、いろいろな事件が明るみに出ていますが、本人が亡くなっていることで、事態を難しくしていると思います。
今回、米国フィギュアのアイコンだったアシュリー・ワグナーが、コフリンに性的暴行を受けたことを公にしました。
インタビューを聞いて、ジョン・コフリンを告発するという意図ではなく、フィギュアスケート界の特殊な環境をなんとかしたいという思いを感じました。
このインタビューは、「死者を告発することになる」という意味でも、勇気のいることだったと思います。
私がインタビューでもっとも印象に残った言葉は、
Talent and ability-not age-place you into your social circle.
年齢ではなく才能や能力で、どういう社会的集団に属するかが決まる。
才能のあるキッズ・ティーンエイジャーは、20代、30代の大人スケーターたちと一緒に練習をし、合宿をし、同じチームで試合に出場し、アイスショーに出て、バンケットや打ち上げに参加する、という事実に気づきました。
コーチや関係者もいます。片や子どもで、片や大人。実は、大きな危険にさらされているということです。
少女だけではありません。女性から男性、男性から男性、女性から女性という可能性もあると思います。
それから、彼女のインタビューを聞くと、危ない目にあってしまったときの10代の彼女の心理が、とてもよくわかりました。
共感という表現が適切かどうかわかりませんが、誰にでも起こりうることだと思います。
映像を訳してみました。
ジョン・コフリンの罪を暴くというよりも、(現時点では米国の)フィギュア・スケート界の暗部が暴かれてしまうかもしれません。
駆け足で訳したのでこなれていない部分もありますが、何かを感じる一助になれば幸いです。
アシュリー・ワグナー:17歳で性的暴行を受けました。私が今、それを話す理由。
2008年の6月のことでした。私は、17歳になったばかりで、コロラド・スプリングスで開かれた合宿に参加していました。
そのとき、地元出身の選手が、自宅でパーティを開いたんです。私はずっと、スケート一筋の生活だったので、それまでパーティに出たことはありませんでした。
みんなもパーティに来ていたので、ちょっと楽しんでもオーケーだと思ったのです。
お酒を飲んだことはありませんでした。でも、友人がみんな飲んでいて、私も好奇心があったし、場になじみたいという気持ちもありました。
パーティが終わっても、泊まっていたホテルに車で送ってくれる人はいなかったので、私と何人かの女の子たちが、パーティの開かれた家に泊まりました。
友だちもいたので、安全だと思ったんです。
ベッドを提供されて、深く考えずに寝て、すぐに深い眠りに落ちました。
深夜に、彼がベッドにもぐりこんで来たのを感じました。
私は寝たままで、動きませんでした。どういう意味だか、わからなかったからです。
「彼もただ、眠る場所が欲しいのだろう」と思いました。
でも彼は、私の首にキスをし始めました。彼が止めてくれることを願いながら、私は寝たふりをしました。でも、彼はやめませんでした。
彼の手がもぞもぞと動き、私の体をさわり始めました。
私が起きていると気づいたら、彼が止めてくれると思って、体の向きを変えました。でも、止めてくれませんでした。
今思うと、彼は23歳で、女性の体にどう触れるかを知っていました。でも、私は理解していませんでした。
彼は成人した男性でしたが、私はまだ少女だったからです。
彼がさらに私の体を触り続けたので、私は怖くなりました。彼の体格は、私よりもずっと大きくて、彼を押しのけられるかどうか、わかりませんでした。
彼が飽きてどこかへ行ってくれることを願いながら、私は、眠っているふりを続けました。でも、彼は続けました。
私は泣きはじめ、決断しなくてはいけないと自覚しました。
目を開けて、彼が首にキスするのを跳ね除けました。私に触れた手をつかんで、「止めて」と言いました。すると彼は止めました。
そして、しばらく私を見つめ、起き上がると部屋から出ていきました。
時間にすれば、5分ほどの出来事。それほど短い時間のことなのに、あれ以来、私の脳裏から離れません。
翌日、彼は何事もなかったようにふるまったので、私も何もなかったようにふるまいました。私の勘違いだろうかとさえ思いました。
2008年の段階で、私は知識もなかったし、♯Me Too運動のようなつながりもありませんでした。
(性的関係における)同意とは何かを教えてくれる人もいませんでした。
その時はあいまいな出来事でしたが、今ははっきり理解しています。
私は性的暴力を受けました。
あれから、私は2人の親しい人に、起きたことを話しました。でも、声をあげたり、行動に移したりはしませんでした。
ただ、忘れたかったのです。
私は、軍人の家に生まれました。逆境にあっても、歯を食いしばって前進するようにと、育てられました。それに、両親に打ち明ければ、パーティに行ったことを怒られると思ったのです。だから、黙っていました。
そして、私は採点競技の中で頭角を現しつつある、若いスケーターでした。騒動を起こしたくなかったし、揉め事を起こすような望ましくない人物だという汚点は、キャリアに加えたくありませんでした。
トラブルを起こすアスリートだと、思われたくなかったのです。
実際のところ、あの時声を上げても、私の話を信じてくれた人なんて、いたでしょうか。
みんな、コフリンのことが大好きでした。私でさえ、彼が好きだったのですから。
みんなに愛されている人に、こんな悪いことができると思いますか?
振り返ってみると、そこが、もっとも重要なポイントでした。
Good people can hurt you too.
善人だって、あなたを傷つけないとは限らない。
いい人だからといって、善行をしている人だからといって、みんなを笑わせる人だからといって、人を傷つけたり、性的虐待をしないとは限らない。
100%の悪人も、100%の善人もいません。
でも、いい面があるからと言って、人を傷つけたことを正当化できません。
私は安全だと思ってベッドに入り、眠っていました。その安全を奪ったのは、彼です。
私は、友人と楽しもうと思って、あの家に行きました。それをすべて打ち砕いたのは、彼です。
パーティに行ったからと言って、あの男が私に触っていいという許可を与えたことにはなりません。
私の気持ちに関係なく、私の体を支配していいと思わせるようなことは、決して口にしていません。パーティ会場にいたからと言って、同意したことにはならないのです。
もっと早く、それを学べたらよかったのに…。
私が何年も感じていた罪の意識は、私ではなく、彼が感じるべきものでした。
私は、ジョン・コフリンに性的暴行を受けました。
過去数か月、この話をしようと決めて、ジョンの名前を出すかどうか葛藤しました。
彼は著名なフィギュアスケーターで、1月に自殺したからです。
彼の名前を出すことによる問題は、十分理解しています。
でも、名前を出すことが、私の話をどう理解してもらえるかを左右します。
名前を出さなければ、人々は私の話の信ぴょう性を疑うでしょう。
でも、これは名前の問題ではありません。
「こんなことが起こるのを許す環境」が問題なのです。
人々に、リアルにこの問題を感じてほしいし、居心地の悪い力の不均衡がはびこるスケート界の力学を、わかってほしいのです。
エリートレベルのアスリートは、肉体的な才能や能力を称賛されます。
私は、13歳から27歳まで、トップレベルで15年間戦いました。
Talent and ability-not age-place you into your social circle.
年齢ではなく才能や能力で、どういう社会的集団に属するかが決まります。
大人と同じ社会的環境にいるなんて、子どもやティーンエージャーにとって、普通のことではありません。
でもフィギュアスケート界では、常に起こっていることです。
13歳の少女たちが、(国際試合に出るのに)21歳の男性たちと同じチームに入って、同じ飛行機で移動し、同じホテルに泊まり、ずっと食事を共にします。
今年、わずか13歳で米国チャンピオンになった、若くすばらしいスーパースター、アリサ・リウを目にしたとき、今こそ、私に起きたことを話さなくてはいけないと思いました。
フィギュアスケートが、子供たちにとって安全なものであってほしい。
私は、全米スケート連盟に行って、アスリートの教育と若いスケーターたちが安全にすごすための健康設計の改善を提案しました。
最低限必要なことは、こういうことを、人々がもっと話すことです。
17歳のとき、私の生きている世界は、ちっぽけでした。
20代のスケーターである彼がいる世界も、スケート競技をしているティーンエージャーしかいないような、小さな社会でした。
どうにかしなければ、居心地の悪い環境を生み出し続ける、逃げ場のない圧力鍋のような環境なんです。
不適切で、安全ではない場所。
子どもたちには、スケートをしているときも、子どもらしくあってほしい。
どのように境界線を作るかを、議論し始めなければ。
自分が被害者だとは思いませんし、被害者だと思われたくもありません。
2008年のあの恐ろしい夜の後、私は前を向いて歩いています。
でも、彼のことを考えると、いつも混乱します。
彼は一度も、私に謝りませんでしたし、私も誤ってほしいと言ったことはありません。
二人とも前に進み、彼が私にしたことについて話したことはありません。
今回、このことを公にするのは、難しい選択でした。
いろんなことを言われると思うし、私を批判し、疑問を投げかける人々がいるだろうとわかっています。
しかし、最終的に、私は決断しました。
沈黙したままでいるか、私の愛するスケートを前進させ、変えるか。
二つの方法について考えるうちに、何をすべきかが、私の中で鮮明になりました。
私は、話そうと決めました。
(終了)