オオナゾコナゾ

種子島ぴー/九州出身、東京在住。夫と二人暮らしです。旅行のこと、フィギュアスケートのこと、香港のことを中心に、右から左へ流せなかった大小の謎やアレコレを、毒も吐きながらつづります。

【映像翻訳】アシュリー・ワグナーの告白が気づかせてくれたこと。

こんばんは。種子島ぴーです。

今年の1月に、性的暴行で告発されたジョン・コフリンが、真相がわからないまま自殺してしまったとき、どうとらえればいいのか戸惑いました。

擁護する発言をするスケーターもいたし、元パートナー選手が擁護から一転して告発する側になったりしたからです。

現在までに、いろいろな事件が明るみに出ていますが、本人が亡くなっていることで、事態を難しくしていると思います。

 

今回、米国フィギュアのアイコンだったアシュリー・ワグナーが、コフリンに性的暴行を受けたことを公にしました。

インタビューを聞いて、ジョン・コフリンを告発するという意図ではなく、フィギュアスケート界の特殊な環境をなんとかしたいという思いを感じました。

 

このインタビューは、「死者を告発することになる」という意味でも、勇気のいることだったと思います。

 

私がインタビューでもっとも印象に残った言葉は、

 

Talent and ability-not age-place you into your social circle.

年齢ではなく才能や能力で、どういう社会的集団に属するかが決まる。

 

才能のあるキッズ・ティーンエイジャーは、20代、30代の大人スケーターたちと一緒に練習をし、合宿をし、同じチームで試合に出場し、アイスショーに出て、バンケットや打ち上げに参加する、という事実に気づきました。

 

コーチや関係者もいます。片や子どもで、片や大人。実は、大きな危険にさらされているということです。

 

少女だけではありません。女性から男性、男性から男性、女性から女性という可能性もあると思います。

 

それから、彼女のインタビューを聞くと、危ない目にあってしまったときの10代の彼女の心理が、とてもよくわかりました。

共感という表現が適切かどうかわかりませんが、誰にでも起こりうることだと思います。

 

映像を訳してみました。

ジョン・コフリンの罪を暴くというよりも、(現時点では米国の)フィギュア・スケート界の暗部が暴かれてしまうかもしれません。

駆け足で訳したのでこなれていない部分もありますが、何かを感じる一助になれば幸いです。 

 

アシュリー・ワグナー:17歳で性的暴行を受けました。私が今、それを話す理由。

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Ashley Wagner: I was sexually assaulted at 17. Here's why I’m telling my story now | USA TODAY - YouTube

 

2008年の6月のことでした。私は、17歳になったばかりで、コロラド・スプリングスで開かれた合宿に参加していました。

そのとき、地元出身の選手が、自宅でパーティを開いたんです。私はずっと、スケート一筋の生活だったので、それまでパーティに出たことはありませんでした。

みんなもパーティに来ていたので、ちょっと楽しんでもオーケーだと思ったのです。

 

お酒を飲んだことはありませんでした。でも、友人がみんな飲んでいて、私も好奇心があったし、場になじみたいという気持ちもありました。

パーティが終わっても、泊まっていたホテルに車で送ってくれる人はいなかったので、私と何人かの女の子たちが、パーティの開かれた家に泊まりました。

友だちもいたので、安全だと思ったんです。

ベッドを提供されて、深く考えずに寝て、すぐに深い眠りに落ちました。

 

深夜に、彼がベッドにもぐりこんで来たのを感じました。

私は寝たままで、動きませんでした。どういう意味だか、わからなかったからです。

「彼もただ、眠る場所が欲しいのだろう」と思いました。

 

でも彼は、私の首にキスをし始めました。彼が止めてくれることを願いながら、私は寝たふりをしました。でも、彼はやめませんでした。

彼の手がもぞもぞと動き、私の体をさわり始めました。

私が起きていると気づいたら、彼が止めてくれると思って、体の向きを変えました。でも、止めてくれませんでした。

 

今思うと、彼は23歳で、女性の体にどう触れるかを知っていました。でも、私は理解していませんでした。

彼は成人した男性でしたが、私はまだ少女だったからです。

 

彼がさらに私の体を触り続けたので、私は怖くなりました。彼の体格は、私よりもずっと大きくて、彼を押しのけられるかどうか、わかりませんでした。

彼が飽きてどこかへ行ってくれることを願いながら、私は、眠っているふりを続けました。でも、彼は続けました。

私は泣きはじめ、決断しなくてはいけないと自覚しました。

 

目を開けて、彼が首にキスするのを跳ね除けました。私に触れた手をつかんで、「止めて」と言いました。すると彼は止めました。

そして、しばらく私を見つめ、起き上がると部屋から出ていきました。

時間にすれば、5分ほどの出来事。それほど短い時間のことなのに、あれ以来、私の脳裏から離れません。

 

翌日、彼は何事もなかったようにふるまったので、私も何もなかったようにふるまいました。私の勘違いだろうかとさえ思いました。

2008年の段階で、私は知識もなかったし、♯Me Too運動のようなつながりもありませんでした。

(性的関係における)同意とは何かを教えてくれる人もいませんでした。

その時はあいまいな出来事でしたが、今ははっきり理解しています。

 

私は性的暴力を受けました。

 

あれから、私は2人の親しい人に、起きたことを話しました。でも、声をあげたり、行動に移したりはしませんでした。

ただ、忘れたかったのです。

 

私は、軍人の家に生まれました。逆境にあっても、歯を食いしばって前進するようにと、育てられました。それに、両親に打ち明ければ、パーティに行ったことを怒られると思ったのです。だから、黙っていました。

 

そして、私は採点競技の中で頭角を現しつつある、若いスケーターでした。騒動を起こしたくなかったし、揉め事を起こすような望ましくない人物だという汚点は、キャリアに加えたくありませんでした。

トラブルを起こすアスリートだと、思われたくなかったのです。

 

実際のところ、あの時声を上げても、私の話を信じてくれた人なんて、いたでしょうか。

みんな、コフリンのことが大好きでした。私でさえ、彼が好きだったのですから。

 

みんなに愛されている人に、こんな悪いことができると思いますか?

振り返ってみると、そこが、もっとも重要なポイントでした。

 

Good people can hurt you too.

善人だって、あなたを傷つけないとは限らない。

 

いい人だからといって、善行をしている人だからといって、みんなを笑わせる人だからといって、人を傷つけたり、性的虐待をしないとは限らない。

100%の悪人も、100%の善人もいません。

でも、いい面があるからと言って、人を傷つけたことを正当化できません。

 

私は安全だと思ってベッドに入り、眠っていました。その安全を奪ったのは、彼です。

私は、友人と楽しもうと思って、あの家に行きました。それをすべて打ち砕いたのは、彼です。

パーティに行ったからと言って、あの男が私に触っていいという許可を与えたことにはなりません。

私の気持ちに関係なく、私の体を支配していいと思わせるようなことは、決して口にしていません。パーティ会場にいたからと言って、同意したことにはならないのです。

 

もっと早く、それを学べたらよかったのに…。

私が何年も感じていた罪の意識は、私ではなく、彼が感じるべきものでした。

 

私は、ジョン・コフリンに性的暴行を受けました。

 

過去数か月、この話をしようと決めて、ジョンの名前を出すかどうか葛藤しました。

彼は著名なフィギュアスケーターで、1月に自殺したからです。

彼の名前を出すことによる問題は、十分理解しています。

 

でも、名前を出すことが、私の話をどう理解してもらえるかを左右します。

名前を出さなければ、人々は私の話の信ぴょう性を疑うでしょう。

 

でも、これは名前の問題ではありません。

「こんなことが起こるのを許す環境」が問題なのです。

人々に、リアルにこの問題を感じてほしいし、居心地の悪い力の不均衡がはびこるスケート界の力学を、わかってほしいのです。

 

エリートレベルのアスリートは、肉体的な才能や能力を称賛されます。

私は、13歳から27歳まで、トップレベルで15年間戦いました。

 

Talent and ability-not age-place you into your social circle.

年齢ではなく才能や能力で、どういう社会的集団に属するかが決まります。

 

大人と同じ社会的環境にいるなんて、子どもやティーンエージャーにとって、普通のことではありません。

でもフィギュアスケート界では、常に起こっていることです。

13歳の少女たちが、(国際試合に出るのに)21歳の男性たちと同じチームに入って、同じ飛行機で移動し、同じホテルに泊まり、ずっと食事を共にします。

 

今年、わずか13歳で米国チャンピオンになった、若くすばらしいスーパースター、アリサ・リウを目にしたとき、今こそ、私に起きたことを話さなくてはいけないと思いました。

 

フィギュアスケートが、子供たちにとって安全なものであってほしい。

私は、全米スケート連盟に行って、アスリートの教育と若いスケーターたちが安全にすごすための健康設計の改善を提案しました。

 

最低限必要なことは、こういうことを、人々がもっと話すことです。

17歳のとき、私の生きている世界は、ちっぽけでした。

20代のスケーターである彼がいる世界も、スケート競技をしているティーンエージャーしかいないような、小さな社会でした。

 

どうにかしなければ、居心地の悪い環境を生み出し続ける、逃げ場のない圧力鍋のような環境なんです。

不適切で、安全ではない場所。

 

子どもたちには、スケートをしているときも、子どもらしくあってほしい。

どのように境界線を作るかを、議論し始めなければ。

 

自分が被害者だとは思いませんし、被害者だと思われたくもありません。

 

2008年のあの恐ろしい夜の後、私は前を向いて歩いています。

でも、彼のことを考えると、いつも混乱します。

 

彼は一度も、私に謝りませんでしたし、私も誤ってほしいと言ったことはありません。

二人とも前に進み、彼が私にしたことについて話したことはありません。

 

今回、このことを公にするのは、難しい選択でした。

いろんなことを言われると思うし、私を批判し、疑問を投げかける人々がいるだろうとわかっています。

しかし、最終的に、私は決断しました。

 

沈黙したままでいるか、私の愛するスケートを前進させ、変えるか。

二つの方法について考えるうちに、何をすべきかが、私の中で鮮明になりました。

私は、話そうと決めました。

(終了)