チャレンジカップ余談
こんにちは。三連休も楽しかったチャレンジカップも終わってしまい、ブログを書くペースが元に戻りそうな種子島ぴーです。
さて、今回のチャレンジカップの昌磨やケージ・タナカの表彰式のあと、
オランダ選手権の表彰式があったのをご覧になりましたでしょうか。
話はそれますが、3位になったフランスのエイドリアン・テッソン選手は、
最初の4回転ジャンプで転倒したときに、左肩がはずれた?みたいでした。
キス&クライで、激痛に顔をゆがめてコーチに訴えていたのですが、
コーチがいっさい耳を貸していなかったのが印象的でした。
肩が痛いまま、最後まで滑ったテッソン選手のガッツを称えたい。
表彰式で、審判?の女性が、昌磨とケージ・タナカには握手で、
テッソン選手には頬にキスをしたのは、
文化の違いを考慮したのか、テッソン選手が肩を痛めているのを知ってのことか??
そして、表彰式でリンクに入る前に、
テッソン選手がケージ・タナカのほうをちらちら見ていたので、
「何か言葉を交わすのではないか」と期待して凝視していましたが、
シャイな2人が言葉を交わすことはなかったと思います(笑)
というか、何語で話すかも問題ですね。
話を戻しますと、
3人の表彰の後、オランダのトーマス・ケネス選手が登場し、
一人だけ表彰台のトップに立って、表彰を受けました。
チャレンジカップは、オランダ選手権も兼ねていたことを思い出しました。
だから、3人表彰されるかと思っていましたが、
出場したのは一人だけだったんですね。
そのトーマス・ケネス選手のコメントも交えながら、
昌磨について触れている記事があったので、Googleさんと共に訳してみました。
「デ・フォルクスクラント」(de Volkskrant)というオランダの日刊紙のようです。
ショーマンである宇野昌磨への賞賛に満ちたトーマス・ケネス:「私たちの世界はまったく違う」
by Erik van Lakerveld
翻訳はGoogleをベースにしています。
トーマス・ケネスは、フィギュアスケーターとして、
宇野昌磨とは異なるスポーツに従事しているかのように感じることがあります。
トーマスは、出場すれば即チャンピオンになれる、唯一のオランダ人スケーターであり、
日本人(宇野昌磨)は、オリンピックで世界第2位の選手です。
「私たちの世界は、完全に異なっています」とトーマス・ケネスは言います。
23歳のフィギュアスケーターは、日本からの同じスケーターである宇野昌磨について語りました。
宇野は、世界クラスの成功者であり、ケネスは、オランダがフィギュアスケート男子シングルに提供する、最高の選手で、ヨーロッパのサブトップです。
先週末、ハーグで開かれたチャレンジ・カップで、
両者の世界が一時的に重なりました。
宇野と彼の同胞の紀平梨花のために、観客はハーグに来ました。
そして実際に、ほとんど売り切れた観客席で、
日本のファンは大きなグループを占めていました。
22歳の宇野は、彼の母国のスターです。
平昌オリンピックで2位になり、世界選手権(2017年と2018年)でも2度優勝しました。
彼は、国際競技会でジャンプの要素である4回転フリップを、初めて成功させた男です。
ハーグのチャレンジ・カップでも、4回転フリップを見せました。
今では、彼が軸を中心に4回転したほかのジャンプと同じように、フリープログラムに常備されています。
彼は並外れたクラスのショーマンであり、昨年12月に2度のオリンピックチャンピオン羽生結弦を破って、日本のチャンピオンになりました。
ケネスは土曜日の午後、昌磨が290.41点の優勝に向かいながら、氷上で回転する演技を、スタンドから見ていました。
「フィギュアスケートの愛好家として、見るのは素晴らしいことです」とケネスは言います。
彼自身の競争は、すでに終わっていました。
フリープログラムでの、トリプルルッツの残念な転倒の後、151.96点で最終順位18位に終わりました。
「トリプルルッツは、シーズンを通して最も安定していないジャンプです」。
彼は、男子シングル部門の最後尾のほうにいたにもかかわらず、
試合はオランダ選手権も兼ねていたため、
ケネスはそれでも勝利を記録しました。
ケネス自身も、予選通過資格に達するポイントを獲得していた唯一のオランダ人だったので、
6回目のオランダタイトルを獲得することを事前に知っていました。
これは、オランダのフィギュアスケートのレベルを示しています。
ケネスは、フィギュアスケートがアイスリンクの日陰の存在であり、フィギュアスケートに携わる少年たちが苦労し、国際的な観点からすると、練習環境や可能性が限られている国で育ちました。
「上昇気流はあります」と、ケネスは強調します。
オランダスケート協会とメディアのフィギュアスケートに対する注目は、高まっています。
しかし、やはり、オランダトップの選手たちが、海外に救いを求めているだけのことはあります。
Niki Wories(女子7位)は、チャレンジ・カップで6年連続全オランダタイトルを獲得し、18歳でカナダに移住しました。
ペアのミシェル・ツィバも、同年齢でドイツのベルリンに移りました。
ケネス自身も訓練のために昨年、国境を越えてベルギーのターンハウトまで行きました。
リンクはその後閉鎖され、ケネスはオランダのリンクに戻ってきて、ベルギー人のコーチと練習しています。
宇野は、フィギュアスケートが、スケートの中で最も人気のある国で生まれました。
多くの愛好家がいるスピードスケートよりも、はるかに人気のある分野です。
「道を気軽に歩くことはできません」。
彼は、彼の人気は、スポーツのパフォーマンスをはるかに超えていると話します。
「私はアイドルになりました」。それもあって、彼は海外に移籍しました。
今シーズンの最初をコーチなしで試した後、宇野は、12月にスイスのステファン・ランビエールのチームに加わりました。
ステファンは、2006年のオリンピック銀メダリストであり、2度の世界チャンピオンです。
宇野とケネスの訓練環境は、非常に異なっていました。
小さい日本人の少年は、5歳で名古屋のアイスリンクに連れて行かれたので、才能を十分に伸ばすことができました。
同じことは、他の主要なフィギュアスケート推進国であるロシアの選手たちにも当てはまります。
才能を発揮する人は、十分に訓練されるトレーニング環境に身を置いています。
「もし私がロシアで生まれていたら、今より成績がよかったかもしれません。もし私がアジア人だったら、もっと小柄だったかもしれないし、スケートをするのが楽だったかもしれません」とケネスは言います。
ケネスは1メートル83センチで肩幅が広く、それはフィギュアスケーターにとって、大きな影響を及ぼしていると言います。
「しかし、最終的には予測できません。それはすべて“もしも~なら”です。気にするべきではありません」
彼がオランダ人であるという事実には、利点もあります。
「私は今、オランダでこのスポーツをする、数少ない選手の一人です。だから私は、競争が少ない。ロシアや日本では、こううまくはいきません」。
国籍についてではなく、氷上でのパフォーマンスについて触れると、ケネスは、宇野の影にはるかに隠れています。
「彼は私よりも100倍優れたスケーターです」とケネス。
違いは、昌磨の技術的才能による、ジャンプにあります。これは特に、脚の動かし方からも明らかです。
彼のコーチであるランビエールは、「猫」と評しました。
「フリープログラムを滑っているとき、私が一つひとつの動作をこなしているのが見えると思います。しかし、昌磨には、本当の流れがあります。単独のエレメンツではないのです。すべてが完全に正しいわけではありません。詳細に練り上げられたプログラムです」。
宇野は、自分のパフォーマンスに驚いていました。
「予想以上に良かった」と。
大会が終わると、ケネスと宇野の住む世界は、再び分かれました。
宇野は、4週間後にカナダで開催される世界選手権に向けて、チャレンジ・カップで準備をしました。
一方、ケネスのシーズンは、終わりました。彼は、次のシーズンの計画を立てるつもりです。
「やるべきことがたくさんあります」
事実と違う内容もありますが、日本からはるか遠く離れた国ですから、そこは流すことといたしましょう(笑)
普段スポットライトの当たらない、オランダのフィギュアの状況がわかって興味深いですね。