こんばんは。プリンスアイスワールド横浜公演のチケットを払い戻して来た種子島ぴーです。
急に万札を数枚手にして、もうかったような錯覚が(笑)
ところで、プリンスアイスワールド横浜の払い戻し期限は、24日(日曜)です。
外出自粛期間で、思うように外出できなかった人もいると思うし、
個人的には延長してほしいです。
まだの方は、お急ぎください!!
OlympicTalk記事の翻訳
さて、NBCスポーツに、昌磨の今シーズンのストーリーが掲載されていたので、私の言葉で意訳します。
Shoma Uno, in a trying figure skating season, considered leaving the ice
印象的な2つのシーン
■フィギュアスケート試練の時期に、宇野昌磨は、氷を離れることも考えた。
通常よりも短縮された昨シーズンにおいて、宇野昌磨の忘れられないシーンが2つある。
1つは、グランプリ大会で、彼史上最悪な結果に終わった11月2日のフランス大会。
オリンピック銀メダリストの宇野は、コーチなしで、一人ぼっちで身体を丸めて、キス&クライに座っていた。
二つのプログラムで5度も転倒し、ネイサン・チェンに81.32点も引き離されて、9位に終わったときのことだ。
宇野は、彼自身の滑りに涙したのではなく、彼を元気づけようとした観客の拍手に涙した、と語った。
もう一つのシーンは、宇野が微笑みながら涙した12月22日のこと。
羽生結弦が、彼の肩をつかんでゆすっていた。
選手としてのキャリアで初めて、全日本選手権で羽生を打ち負かした直後のことである。
氷を離れることも考えた
その年の秋、22歳の宇野は、競技会に出場するのを止めて、スケートをひと休みすることも考えたという。
YouTubeユーザーが翻訳した、テレビのインタビューで、それを明かしている。
宇野のマネージャーに確認すると、その英語字幕について、“かなり正しい”と述べた。
「一点だけ違うのは、『競技会に出場するのを止めて、スケートをひと休みする』というのは、決して彼から出た案ではないという点です」と、宇野のマネージャーはメールに書いています。「周りの人たちから提案されたことです」。
宇野は、おそらく彼の世代でオリンピックや世界選手権のタイトルを獲得していない、最高の男子スケーターである。(時間はまだ十分にあるが)
オリンピック、世界選手権、グランプリファイナルの7回の舞台でチェンと羽生という史上最高の2人のジャンパーと競って、2位または3位になっている。
しかし、昨オフシーズンに、長年キャリアを共にしたコーチたちから離れた後、その隊列(2人と競って2位か3位になる)から脱落してしまったのだ。
「たくさんの人と話して、スケートを辞めることも考えたのは本当ですが、あれだけひどい演技をして、もう失うものは何もないから、スケートをただ楽しみたいと思いました」
彼がそう思った正確なタイミングは、はっきりとしないものの、マネージャーに確認してもらった英語字幕によると、テレビのインタビューで宇野はそう話している。
「家族と話して、スケートをすることでそんなに苦しい思いをするなら、滑ることがつらいなら、休憩するのも選択肢としてあるよ、と」
「たくさん話し合いました。でも、僕は、また(フランス大会やロシア大会と)同じような演技をすることになったとしても、スケートをしたかったし、スケートを楽しみたかった。思いきり滑りたかった。もう一度、やり直して、挑戦したかったんです」
グランプリシリーズ フランス大会の後、宇野はロシア大会で4位に終わった。
グランプリシリーズに初めて出場してから、12大会すべてで表彰台に立っていたのに、2大会連続で表彰台を逃してしまった。
改めて思うけれど、すごすぎる。
ハイレベルな大会で、12大会連続表彰台って!!
全日本での優勝
宇野は、すでにいくつかの仕事を共にしたことがあるスイス人…2006年オリンピック銀メダリストのステファン・ランビエール…が、正式なコーチになるとアナウンスした。
クリスマス直前の全日本選手権で、宇野はショートで羽生に5点遅れを取っていたのを帳消しにして、7.8点差で勝った。
ジャンプのミスを最小限に抑え、5本の4回転ジャンプを含む2つのプログラムを通じて、マイナス評価がついたジャンプは一つだけだった。
羽生はフリーのトリプルアクセルで転倒するなど、クリーンさで劣っていた。
ジャパンタイムズによると、「ベストな演技ではありませんでしたが、本当に楽しんで滑ることができました」と、宇野は答えている。
「今シーズンは、本当につらい時期を過ごしたので、最後に初めて、練習と試合を楽しめました。みんながベストな演技をしていたら、結果は違っていたかもしれません」
1度でも勝てたら、100回負けても大丈夫
宇野は何年もの間、3歳年上で6インチ身長が高い二度のオリンピックチャンピオン羽生に、引け目を感じていた。
他のほとんどのスケーターも同じように感じていたかもしれないが、宇野は、もっともフィギュアスケート人気が高い国の同胞として、ユニークなケースである。
「できるとは思わなかったけれど、一度でも羽生選手に勝ちたいと、ずっと思っていました。その目標が、やる気につながっていました」と、テレビインタビューの翻訳で語っている。
「1度でも勝てたら、100回負けても大丈夫です」
今では、あの当時のことが信じられない!!
ハッピー、ハッピー、ハッピーな昌磨。
本当に感動的なシーズンでしたね。
樹君のインスタストーリーに、ふわトロちゃんとトレーニングをする樹君と、ふわトロちゃんと眠る昌磨がいますよー。見にいってくださいね。