オオナゾコナゾ

種子島ぴー/九州出身、東京在住。夫と二人暮らしです。旅行のこと、フィギュアスケートのこと、香港のことを中心に、右から左へ流せなかった大小の謎やアレコレを、毒も吐きながらつづります。

宇野昌磨と高橋大輔、表現の違い【1】

「昌磨と高橋大輔氏の表現は、どこが違うのだろうか」。

 

と、ここしばらく、考えています。

結論は出ていないので、考え中ということで、記事を【1】とし、

新たに気づいたら【2】に続くかもしれないし、【1】で終わるかもしれません。

 

小さいころから、「高橋選手みたいになりたい」「大ちゃんみたいなステップがステップでステップとか」と、

高橋大輔氏への憧れを口にしてきた昌磨くん(一部不正確表現を含む)。

 

大輔氏の引退を受けて、

また、世界選手権二連覇の先にある自分のスケートについて語るとき、

改めて、「表現者として高橋大輔さんが目標」と、

名前を口にする機会が増えたように思います。

本当にブレないですね。

 

先日のコラントッテさんのイベント、

美味しい話をぎゅっと濃縮した動画が公開されています。

 

宇野昌磨、愛犬エマちゃんと一緒にイベント登場(「コラントッテ TAO ネックレス スリム ARAN mini【SHOMA2023】」発売記念イベント/宇野昌磨 エマちゃん 友野一希) - YouTube

 

その中で、「引退した高橋大輔選手について」では、

僕にとっては、これからも、僕にとってのお手本のような、表現者のお手本のような存在。

まっ、たぶん僕は、高橋大輔選手のような…あの表現、芸術表現者には遠く及ばないまま、スケートを終わるだろうな😑😂っていうのはわかっているんですけど。

それくらい僕にとって、手の届かないようなレベルの存在の人で、それが選手であれ、その…スケーターである以上、高橋大輔さんっていうのは、変わらない存在なのかなと思うので、

メディアの方とかに、こういった時に「どんな気持ちですか」と聞かれたりはするんですけど、本当に変わらない気持ちで、これからも、その…高橋大輔さんの表現っていうものを見ていると思いますし、ま、そのぉ…選手を辞めたからこそ、できることもあると思いますし、シングルからアイスダンスっていう変更っていうのは、すごい難しいことだったと思うんですけれど、村元哉中さんと高橋大輔さんの二人にしかできない表現っていうものもたくさん見させていただいて、すごくこれからも楽しみな気持ちでいっぱいです。

 

この「高橋さんに追いつけないままスケート人生を終わる可能性が高い」と言って、自ら失笑しちゃった昌磨を見て、私は思わず噴き出しましたよ。

まぁ…ね…。

 

続けて、「スケーターとして目指すもの」では、

もちろん、僕が憧れたスケートっていうのは、高橋大輔さんのようなスケーターなんですけれども、僕は、僕の性格的に向いているのが「競技者」であると思いますし、そこが難しいところではあると思いますが、表現というのをずっと二の次にしてきたので、ジャンプもこれからも頑張りたいと思っていますけど、表現っていうものも、いい加減、手を加えたいと思っています。

 

「表現にいい加減、手を加えたい」の部分で、

司会進行の方も、「いやいやいや…」と仰っていましたが、

 

昌磨も、小さいころから立派な“表現者”だったと思うし、

今では、リンクの上に、4分ちょっとで大聖堂を建立することもできるほどの匠になりましたです。

 

では、昌磨と大輔氏は、何が違うのか。

 

大輔氏と比較して「足りない」「及ばない」という表現ではなく、

「違い」としてとらえたときに、どこなんだろうな…と。

 

二人とも、

  • 一瞬にして曲の世界に入ることができる。
  • 一瞬で会場の空気を変えることができる。
  • 観客を演者に集中させる力がある。
  • 観客の体内に、喜怒哀楽を送り込める。

 

クラシック音楽なら、昌磨のほうが清楚な感じ??

いやでも、大ちゃんもラフマニノフとかあるしなぁ。

 

と、「高橋大輔 ラフマニノフ」で検索し、

ザ・アイスの「浅田真央メドレー」でラフマニノフを滑る大ちゃんの美しさに涙する私。

真央ちゃんとのからみ、よかったですよねー。

一瞬で、怪しげな村の美女と村の若者のストーリーが、勝手に目の前に現れる。

…って、全然、考察が進まないよ(笑)

 

スタートポジションについた瞬間に、周りの空気が変わるのは、

昌磨も大ちゃんも同じ。

 

 

本人が作品に入り込んでいく過程で、

観客もググーッと否応なしに引っ張り込まれていきます。

 

 

改めて気づいたけど、高橋大輔選手の衣装は、

アシメトリーなカッティングや異素材の切り替えで、凝りに凝ったものが多い。

3分弱、4分半の作品中のストーリーの変化によって、

衣装のメインになるパートも変わってくる感じ。

ダークな部分は革、華やかな部分はレース…みたいに。

 

昌磨の場合は、『オーボエ協奏曲』で主に着用した通称“イボイボ”衣装は、

異素材切り替えアトメトリーな感じでしたが、

 

フィギュアスケートLife Extra 華麗なるスケート衣装の世界III (扶桑社ムック)

★画像はAmazonの商品リンクを使用しています。

 

一般的には、シンプルゴージャス。

上半身を中心にゴージャスなクリスタルを強めに配置し、

昌磨自体がキラキラした発光体になって、

プリズムのように世界観を映し出す感じかな。

 

曲としては、大ちゃんの『マンボメドレー』みたいなラテンが、昌磨にはないかも。

ただ、マイケル・ジャクソンは、短期間ではありましたがやったし、

大好きな『グレイト・スピリット』も、“やんややんやの大歓声”プロではある。

 

そんなこんなで、二人の演技動画をいろいろ見返していて、

一つ気づいた違いがありました。

 

それは…うーむ、うまく説明できないが。

 

二人とも、エネルギーや演技の世界観を観客に向けて放ち、

観客がぐーっと引き込まれる。

ここまでは同じ。

 

高橋大輔の場合は、それらを受け止めた観客が返す熱狂を、

もう一度自分の中に取り入れて、再放出する力がある。

と気が付きました。

 

リンクにいる高橋大輔と観客の間で、テニスのボールのように、

“気”や感情がラリーされているのがわかりました。

ポーン、ポーンって。

 

試合や演技中に、どこにそんな余裕があるのかと驚きますが、

これは、一種の才能か。

大ちゃんには、観客の顔がはっきりと見えているのだと思います。

 

次に、彼が出演するアイスショーに行ったら、

何かしらの気や感情を、彼に投げ返してみたいと思います。

なんとなく、目を見て返してくれそうな気がする(笑)

 

昌磨が、4回転5本跳びながら、作品の世界観を維持し、

さらには、観客の顔を見ながらラリーするって、

「聖徳太子かよ!!」っていうレベルなのでなんですが、

「表現に手を加えたい」という言葉に、

本人のどんな目論見、計画がイメージされているのか、楽しみでしかありません。

 

ちなみに、ザ・アイスを見に行ったら、

演技に興奮&感動するだけでなく、昌磨に向けて感情を打ち返してみたいと思います。

・・・と、ヘンな野望がわいてきました。

 

他にも、昌磨と大ちゃんの違い、それぞれの良さについて、

独自の考察をお持ちの方の意見が聞いてみたいです。

どっちが優れている、いない、ではなくて。