オオナゾコナゾ

種子島ぴー/九州出身、東京在住。夫と二人暮らしです。旅行のこと、フィギュアスケートのこと、香港のことを中心に、右から左へ流せなかった大小の謎やアレコレを、毒も吐きながらつづります。

北京オリンピック後のメディアの黙殺がうそのよう。

こんにちは。競技引退発表から1週間が過ぎ、だいぶ落ち着いてきました。

 

宇野昌磨“選手”の「好きなプログラムベスト10を選ぼう」とか

「想い出の試合ベスト5を選ぼう」とか、

「一番好きな衣装を選ぼう」とか、いろいろ考えるのですが、

 

結局のところ、プログラムと衣装と試合の想い出が一体となっているので、

過去の演技動画を見返したりするうちに、想い出にひたってまったく進まず。

あと3カ月くらいはかかりそう。

 

そして、昌磨関連のニュース記事が、本当にたくさん、たくさんアップされていて、

すべてに目を通す時間と気力がないくらい。

 

週刊誌はなるべく読まないようにしているけれど、

ちょっと読んでしまったりすると、読者が怒ったり、物議をかもしたりしそうなことがわざわざ書かれているような気がします。

 

いわゆる“バズる”が目的なのかも。

媒体はどこも予算が厳しいから、どれだけ読まれたか、アクセスされたかで、

原稿料が出来高制になっているのかもしれないですね。知らんけど。

 

いい話もたくさん。

昌磨を小さいころから追ってきたスポーツ記者さんたちの記事には、

愛情や親しみのこもったもの、「あのとき、そういえばそうだったよね」と、記憶を呼び戻してくれるものもある。

 

こんなにたくさん記者やライターさんがいるのに、

どうして北京オリンピックのとき、銅メダルを獲った昌磨を(鍵山選手も)、

日本フィギュア界でオリンピック最多メダルを獲得した昌磨を、

ほぼ完全に黙殺したのだろうか?

不思議なくらい、無視されましたよね。

 

あの時取り上げていれば、どれだけ多くの人々に勇気と希望を与えられたことか。

オリンピックを目指す子どもたちも増えた気がするのですが、

パンデミックと共に、マスクでおおわれてしまいましたね🙊

 

名古屋の病院の新生児病棟に、自分も超低出生体重児として生まれた昌磨がメッセージを送った話も、今になって2件ほど見かけました。

あれは、もう何年前のことだろう?

 

あの感動的なメッセージが、体の小さなお子さんがいるご家族の目に入れば、

どれだけ多くの人の気持ちが救われたかわからないのに、

当時、取り上げたメディアはなかったと記憶しています。

私は、実際に目にした人のホームページで拝見したと思う。

 

樹くんも、UNO1ワンで動画にしてくれていました。

日本赤十字社愛知医療センター名古屋第二病院新生児科 #NICU#宇野昌磨#北京オリンピック - YouTube

 

樹君の著書「兄・宇野昌磨 弟だけが知っている秘密の昌磨(PR広告)」で、

「母と父、そして昌磨」の一節に、こんな記述があります。

 

兄・宇野昌磨 弟だけが知っている秘密の昌磨

昌磨は、生まれたとき、すごく小さかったそうだ。1000グラムを切る大きさで手のひらに乗るくらい。生まれてからも長く入院していたという。

小さすぎて、呼吸器、消化器、いろいろなところに心配がたくさんあって、身体中に点滴の管を一杯つけて、ずっと保育器に入っていたらしい。母は、保育器に入っている昌磨を見て毎日泣いていたと、父から教えてもらったことがある。

 

この事実を踏まえて、その少年が今やオリンピックメダリストになったという話は、

本来なら、マスコミが大好きな“感動秘話”だと思う。

・・・と自分で書きながら、「感動秘話」という言葉の薄っぺらさに絶句しておりますが🙇‍♀️

 

 

写真だと読みにくいですが、このメッセージが、一人でも多くの人に届くといいな。

 

そして、改めてこのメッセージを読んで、

凡人である私が歯がゆく感じるほどの宇野昌磨さんの欲のなさ、謙虚さ、自己顕示欲の薄さが、すとんと腹落ちするのであった。