オオナゾコナゾ

種子島ぴー/九州出身、東京在住。夫と二人暮らしです。旅行のこと、フィギュアスケートのこと、香港のことを中心に、右から左へ流せなかった大小の謎やアレコレを、毒も吐きながらつづります。

2024年8月7日のパリが晴れていてよかった!

こんばんは。気持ちのアップダウンが激しい種子島ぴーです。

 

昨日の夜は、0時にメダル授与式の瞬間を待ち構えていたのですが、

NHK速報が流れるわけでもなく、

オリンピック放送が一時中断されて「ここでチャンピオンズパークからお送りしまーす」みたいなこともなく、空虚な気持ちで過ごしました。(NHKの動画配信サイトではライブあったのかな??)

 

数分くらいして、ジャッキーさんがインスタに写真をあげてくださっているのを見て、

「あ~終わったんだな」と、トホホな気分。

 

 

このままスルーされるのかなぁと思ったけど、

朝にはいろんな映像や画像が流れてきて、

「あ~、よかったなぁ」と。

 

 

まずは、日本チームのみなさん、銀メダルおめでとうございます🎉🎊

これは鳥肌。感動で泣いた。そして、昌磨がいないことに泣いた。

 

 

TEAM JAPAN | ⛸🥈✨ #北京2022 #オリンピック #フィギュアスケート 団体 #鍵山優真 選手 #坂本花織 選手 #樋口新葉 選手 #三浦璃来 選手 #木原龍一 選手 #小松原美里 選手 #小松原尊 選手 #宇野昌磨 選手 #TEAMJAPAN #一歩踏み出す勇気を ... | Instagram

 

ゆまちが、「これで僕たちの北京大会もやっと終わった。」と言っていて、

それを読んで、本当にそうだなぁと。

 

北京オリンピック フィギュアスケート団体 日本に銀メダルを授与 | NHK | #フィギュアスケート

 

北京オリンピックでメダルを獲ったのに、マスコミにほぼ無視された

団体戦メンバーと、ゆまち、昌磨、かおちゃん。

 

あんなに苦しかったのに、最後は意味不明に結末をぶち切られた形の北京の冬2022。

 

オリンピックを見ていた私自身も、

きちんと区切りがついていなかったことに、今ごろ気づきました。

 

北京の翌年、怪我もあったけど、燃え尽き症候群みたいな感じもあった新葉ちゃん。

競技から離れたヴィンスやネイサン、アレクサ、ブランドン、ハベル、ダナヒュー、カレン。

そして、昌磨と美里さん。

 

2年半の時を経て受け取ったメダルに、拍手と祝福を何時間でも贈りたい。(実際には手が疲れたので、3分が限界でした)

 

そして、だからこそ、「なぜここに昌磨がいないんだぁぁぁ」という悲しみが押し寄せる。

 

 

だけど、最終的な納得の仕方としては・・・

 

あのコロナ禍の北京オリンピックで私は、

オリンピックまでたどり着けなかったコリヤダ君に胸を痛め、

「今度こそ金メダル」と多くの人が願っていたネイサンが感染しやしないかと脅え、

ヴィンセント・ジョウ選手が個人戦に出られなくなったとき、心が張り裂けそうでした。神はいるのか?と。

 

だから、「メダル授与式が延期になったことで、ヴィンスがメダル授与式に出られた」という結果オーライを、最大の喜びにしたいと思う。

 

昌磨は、個人戦にも出られたし、

個人戦のメダルを受け取って帰国してくれたから、納得できないけど納得します。

 

ヴィンスが団体戦メダル授与式に出られた>昌磨が団体戦メダル授与式に出られなかった

 

と、自分を納得させています。

 

付け加えるならば、ヴィンスはこの2年間、クリーンスポーツの重要性を公の場で訴え、「米国にメダルを早く」と、何度も訴え、発信してきました。

 

だから、もしも、もしも、メダル授与式がヴィンスが出席できない日に開催されていたら、私は一人暴動に出たと思う。

 

それでもさ‥。

ネイサンファミリーのこんなしあわせフォトを見ると、

 

Yuki Saegusa | I’m a Chen family member for the day!!! Or will they let me be a permanent family member?? ❤️ @paris2024 @nathanwchen | Instagram

 

樹くんのインスタが思いだされて、泣きたくなるの。

母も表彰式のパリに誘ってくださったスケート連盟様に感謝です。

今回は行けませんでしたが、これも想い出になります。

@SHOMA_UNO

って書いてあって、

樹くんが平昌オリンピックのメダル授与式を見ている写真が添えてありました。

 

今、これを書きながら思ったのですが、「今回は行けませんでしたが、」ってことは、

昌磨、いつかワンモアチャンスある?? ないか…。

 

そして、ネイサンのマネージャーさんのサエグサさん、

「私も永遠の家族にしてくれるかしら?」って、なってもいいと思います😆

ネイサンに対して、それだけの貢献はしてきていると思います。

ネイサンのお兄様で、どなたか独身の方はいらっしゃいましたっけ😆 あ、そういう意味ではない?

 

しかし、選手を取り巻く方々にとっても、「北京オリンピックひと区切り」ですなぁ。

デミさん、お疲れ様でした。

ステファンがコロナ陽性反応のために団体戦の日に北京に来られず、

デミさんが昌磨のそばについていたのを、とてもよく覚えています。

 

今回の授与式では、出席できない昌磨のために、

メンバーが指先に「SHOMA」って書いて式に出てくれたり、

全員そろった写真を持って撮影してくれたりして、コロナ禍のオリンピックで本当に仲間だったんだなぁと思いました。

 

陽性反応で棄権した選手が何人もいたし、観客がいない中での演技だったし、家族を同伴できなかったし、アリサ・リウ選手が政治的にマークされたりと、

いろんな意味で、重く暗い面のあった北京オリンピック。

 

 

2024年8月7日のパリが、晴れていてよかった。

冬のオリンピックのメダルを夏のオリンピックで授与されたストーリーは、

永遠に語り継がれることでしょう。