昼ドラが1本書けそう。ソチメダリストたち、その後の4年間。
「リプニツカヤ選手引退」「ソトニコワ選手、平昌めざさず」。今週、ロシアから残念なニュースが2つ入ってきました。
残念というか、予感していたことですが、あらためてオリンピック後の彼女たちの人生を考えると、うーん・・・・難しい。
リプニツカヤ選手は、ソチの優勝候補だったにもかかわらず、無謀なスケジュールの団体戦に駆り出され、個人戦では調子が狂ってメダルを獲れず(と、私は思っています)。
しかし、団体でロシアに金をもたらした赤いコートの美少女は、プーチン大統領のおぼえもめでたく・・・
一躍、ロシアのアイドルになりました。アパートをプレゼントする不動産会社社長まで。受け取る側もすごいですが。
ところが、体型の変化もあって演技が微妙に崩れ始め、コーチとの蜜月関係にも亀裂が入っていきました。そして、コーチには新たなお気に入りが・・・
思春期の女の子にこれはツライ。
リプニツカヤの家族とエテリ・トゥトベリーゼコーチとの確執も伝えられ、シーズン半ばで新たなコーチの元へと移ります。
しかし、体型はどんどんふくよかになり(一般女性では普通体型ですが)、演技はうまくいかず、「妊娠説」まで出てきます。「ファンのために、ずっと30キロ代でいろって言うの?」と、リプニツカヤが啖呵を切ったことも。
そして、ついに、「ユリア・リプニツカヤ、拒食症と戦った後、19歳で引退」のニュースが今週流れてきました。母親がロシアのタス通信に語ったそうです。
She complained in November 2014 that she had lost her freedom and felt “constant stress” when trying to live up to her fans’ expectations.
彼女が2014年11月に語ったところによると、「ファンの期待に答えようとして、自由を失い、常にストレスを感じていた」。
拒食症だったとしたら、 スケートを止めることを承諾した母親の愛情に拍手です。個性があって美しい彼女なら、女優もできそう。理知的な気がするし、知名度もあるので、他の道でも成功しそうです。
とにかく、女子フィギュアに新境地をひらいた彼女の「シンドラーのリスト」を、私は長く記憶し続けるでしょう。
一方のソトニコワ選手は、ソチの団体戦出場を免れ、予想外の金メダル。
ところが、自国選手の金メダルをあきらめきれない韓国&韓国人ファンから、つい最近まで!! 本当につい昨日くらいまで(笑)、バッシングやらスポーツ裁判所に訴えるぞ攻撃が続いていましたよね。ご家族の難病を支えながら頑張っているのに、なんてことだ。
平昌断念報道に関しては、案の定いろいろ言っているようですが、「ソチの金メダルはソトニコワのものです」。未来永劫にね。
さらに、怪我に悩まされ、あまり試合で姿を見ることができませんでした。バッシングって、気持ちを落ち込ませて怪我を誘発するから、本当にやめてほしい。
平昌オリンピックは目指さないそうですが、選手生活が終わったわけではありません。皇帝プルシェンココーチと共に、北京で金に返り咲くことも考えられます。
過去の参考記事はこちらです。
オリンピックメダリストの人生も、なかなか大変。というか、ドロドロした要素が多いですね。イタリアのコストナー選手も、恋人である競歩の選手のドーピング検査回避を助けた容疑で、長い間試合に出られませんでした。
メダリスト数人をモデルにしてドラマを書けば、韓流も真っ青のドロドロした昼ドラが1本仕上がりそう。
再浮上を狙うカザフのデニス・テン選手
さて、バッシングと言えば、ソチでカザフスタン初のフィギュアスケート銅メダリストとなり、一躍祖国の英雄となったデニス・テン選手。
「日本が好き」と公言して、日本のファンから歓迎され、韓国人ファンからは謝罪を求められ、祖国で開催したアイスショーに高橋大輔と浅田真央を招いて日本での人気が上昇し、キム選手と同じエージェントの所属になって日本のファンから非難され、2016年世界選手権の公式練習中に羽生選手との衝突騒動があって、羽生ファンを中心に激しいバッシングと誹謗中傷メールが殺到。国vs国の騒動に発展しかける。
人気スポーツの選手って、ほんとに大変ですな~
そんな、バッシング騒動のあと、やや気落ちした感があったデニス・テン選手の近況が入ってきました。
Golden Skateの記事を、気になる部分だけ斜めにざくっと訳しました。
再浮上を狙うカザフスタンのデニス・テン
「(昨シーズンは)うまくいったシーズンではなかったけど、同時に、有益だったこともあったよ。母国カザフスタンでのユニバーシアード開催(優勝)、パリで開かれたグランプリシリーズ フランス杯(銀メダル)といった、忘れがたい思い出がね。今のところいい結果の出ていない、気の重い出来事もあったけど」。
現在は、新しい自分探し、スポーツへのモチベーション探しをしている。
世界選手権での成績はふるわなかったが、試合を見に来ていたIOCのトーマス・バッハ会長と会って、元気をもらった。テン選手は、北京開催が決まってしまった2022年の冬季オリンピックをカザフスタンに誘致する一団のメンバーだったのだ。
「このオフシーズンは、ほとんど世界を一周したよ。違うトレーニングの一環として、ロシア、イタリア、カナダ、米国を8月に回ったんだ。様々なアイスショーに参加するために日本と韓国へも行ったよ。さらなるトレーニングのために、ロスにも行く予定。確かなことは、以前とは違うってことさ」
2010年からフランク・キャロルと組んできたが、昨シーズンは主にニコライ・モロゾフと練習をしている。現在は3度目のオリンピックに向けて準備中。
「まず、韓国で開かれるという意味で、このオリンピックは僕にとって特別なものになると思う」と、韓国に祖先を持つテン選手。
「韓国とは特別なつながりがあるんだ。試合の結果がいいことに加えて、精神的にも。僕が世界的な賞を最初に獲ったのは、韓国なんだよ。すっごく面白いことに、スポーツに関係する賞ではなくて、2002年に釜山で開催されたコーラスオリンピックの銀メダルなんだ」
テン選手はまた、ソウルで2008年に開かれたジュニアプランプリファイナルに出場し、2015年の四大陸選手権でパーソナルベストを更新して優勝した。
カザフスタンで数々の優勝経歴を持つチャンピオンのテン選手は、怪我の問題を解決し、やれるとわかっている演技をすることを願っている。
「オリンピックは、ステータスや開催地を考えると、自分にとって二つの意味で特別なイベント。だから、自分に打ち勝ってすばらしいスケートを見せ、レガシーを残したいんだ」
この夏は、振付師のブノワ・リショーとデビッド・ウィルソンと新しいプログラムに取り組んだ。他のスケーター同様、まだ音楽を発表する段階にはきていない。
「現時点でのいろいろなオプションを検討すると、いつまでスケートを続けるかはわからない。平昌オリンピックの後も、スポーツ界にとどまる可能性は高いと思う。同時に、”Xデー”が来ることも否定できないよ。すべてのアスリートが直面する選択を、僕もしなくてはならないからね」
----抜粋訳はここまで
オリンピックに向けて、今後もいろいろな選手のニュースが入ってくると思いますが、つくづく思うのは、複数回のオリンピックに出るって、本当に大変なことなんだなぁということです。