こんばんは。春のような陽気に、なんだか楽しい種子島ぴーです。
さて、そろそろ世界選手権の話題が出始める頃ですが、オリンピックのフィギュアスケートで気になることがあったので、確認しておきたいと思います。
どうなった、中国審判の不正疑惑?
少し前に、「中国の審判が自国選手にえこひいきした」という話題がありましたよね。
「他のジャッジが7点台を付けているボーヤン・ジン選手のエレメンツに、一人だけ9点台をつけまくっていた」と。
その一方で、「ボーヤンと僅差でメダルを争っていた宇野昌磨選手やハビエル・フェルナンデス選手には、審判の中で一番低い点を付けていた」と。
うーん。分かりやす過ぎて、素敵(笑)。
国家としては、ボーヤンを団体戦に出場させずに温存して、グッドコンディションでもって個人メダルを取りに行かせたかったわけですよね。(あれあれー、これは日本にも当てはまるぞー)。
たぶん不正でしょう。不正はいけません。
テレビでは、「えー、それはひどいですよぉ」などとタレントコメンテーターが声を張り上げ、「徹底的に調査すべきです」とキャスターが厳しい顔でのたまっておりました。
でもね、長年フィギュアスケートを見ている人なら、「それが何か?」って思いませんでしたか? 私は、全然、驚きませんでしたよ。むしろ、自国の選手をひいきするのがフィギュア採点の定番だと思っていたので、
今回、スノーボードやスキー競技で、審判が国に関係なく採点しているのを見て驚きました!!(笑) (平野選手の採点には議論もあったようですが)
この中国の審判は資格停止になるかもとか、本格的な調査が始まるとか言われましたが、私は、「きっと、たいした調査なんて、行われないな」と思いました。
だって、そんなことしたら、他の国だって困りますよね。
過去にもいろいろありました。
ロシアは、ソチの女子シングルの審判団にロシアの協会関係者を入れて非難されたし、開催国の韓国といえば、あらゆるスポーツで不正はお家芸。
2002年のソルトレークオリンピックでは、ロシアとフランスが裏で取引し、アイスダンスとペアで金メダルを分けようと画策。ロシアとカナダチームに対する不正ジャッジが発覚して、2番だったアイスダンスのカナダペアにも金メダルが与えられました。
あっちにもこっちにも疑惑があるから、どこかの国を攻撃すると、返す刀で切られちゃうのでは・・・。そもそも、ボーヤン・ジン選手の平昌でのフリーは素晴らしかった。中国の審判が、「私は、宇野やフェルナンデスより、ボーヤンのほうがすばらしいと判断した」と言われれば、証明するのは難しい。それよりも、ボーヤン渾身の演技を、審判のために汚してほしくないですね。
というわけで、中国人審判の採点疑惑についての続報は聞きませんが、
実は、もうひとつ疑惑の採点があったようです。それは、アイスダンス。
どういうことか、「icenetwork」でジャーナリストのリサ・ラザフォードさんが指摘されている部分を、引用して翻訳させていただきましょう。
アイスダンスの偏ったジャッジby「icenetwork」
トップ2チームの技術やパフォーマンスの質を無視して、アイスダンスでどのチームが金メダルを取るかは、フリープログラムの演技が行われる45分前に決まっていた可能性があります。
それは、9人の審判を決めるくじ引きが行われた時点です。ショートでは、カナダとフランス両方の審判がジャッジ席に座りました。しかし、フリーでは違いました。
カナダの審判リアーナ・キャロンは、抽選に当たりました。偶然にも、彼女はカナダスケート協会のトップです。しかし、フランスの審判クリスティン・ハースは選ばれませんでした。
カナダの審判リアーナ・キャロンは、(自国の)テッサ・バーチュ&スコット・モイヤ組に、ほぼ満点に近い得点を与えました。しかし、(ライバルの)フランスのガブリエラ・パパダキス&ギヨーム・シゼロン組には、審判たちの中でもっとも低い得点を付けました。
一番高い得点と低い得点は取り除かれますが、全体的な効果は、スコット&モイヤの平均点を上げることでした。同じようにパパダキス&シゼロン組をサポートするフランスの審判が加わっていなかったことで、明らかに彼らは不利でした。
では、採点表を見てみましょう。
ははは。2番の審判でしょうか。たいへん分かりやすいですね。
そして、2組の点差はこちら。
これは・・・
一応言っときますと、私はテッサ・バーチュ&スコット・モイア組が大好きで、リンクを支配する力は圧巻だと思ってます。役者が違うといいますか、あの組だけ単独氷上ミュージカルをやっているような破壊力があります。
どんどんニコール・キッドマンに似ていくテッサ・バーチュ姐さんの顔も、ハリウッド感を漂わせているというか、「ムーラン・ルージュ」ですね。
しかし、2位に終わったときの、パパダキスの失望した表情も忘れられません。
選手の血のにじむような努力の重さと、審判の軸をもたない軽さが、いつも気になってしまうのであります。