「はい、たっ君、お姉さんに『こんにちは』して」。
「こんにちは」。
信号待ちをしていたとき、肩越しに話しかけられて振り向くと、こんな物体が私を見つめていた。
さいしょ、「犬かな?」と思ったが、それは、赤ちゃんのような洋服を着せられた、ぬいぐるみだった。
その人形は、お婆さんの手のひらに乗せられ、肩の高さにキープされていた。
そして、お婆さんは腹話術師のように、たっ君の声も担当しているのであった。
「お婆さんは気がふれているのだろうか」。
少し不気味な気もしたが、暖かな春の日だったので、私は言葉を返すことにした。
「こんにちは。たっ君」。
すると、お婆さんはニッコリとぬいぐるみに微笑んで、「よく、ご挨拶できたわね。よかったわね」と言って、たっ君の頭をなでた。
それからは、2日に一度くらいの頻度で、お婆さんとたっ君を見かけるようになっていった。
会社を辞めてフリーランスになっていた私が家を出る時間帯は、日によってまちまちである。
しかし、どんな時間帯であっても、駅へと向かう道を歩いていると、不意に路地からお婆さんとたっ君が現れるのだ。
人は、そこに「いる」「ある」と認識した瞬間から、それまで見えていなかったものが視界に入ってくるようになるのだろうか。
たっ君は、着せ替え人形のように、いろいろな服を持っていた。
冬になればマフラーをしていたし、プロ野球の球団のユニフォームを着ていることもあった。
たっ君は、とても大事にされているようだった。
私は勝手に自分の中でストーリーを創っていた。
ひとりぼっちで暮らしているお婆さんが、亡くなったお爺さんが着ていた下着の布きれで、シンプルな形のぬいぐるみを縫う。
そして、ぬいぐるみに名前をつけて毎日話しかけている。
夜なべをして手作りの服を縫っては、着せてあげている。
そんなイメージだった。
しかし、ある日、発見しましたよ!! こんな製品があることを。
バンダイ「ハートそだつよ!プリモプエル」
これは、センサーを内蔵した人形型のぬいぐるみで、おしゃべりをしたり歌を歌ったり。
1999年にバンダイから発売され、2013年の時点で110万体ぐらい売れていたようだ。
お洋服もいろいろ発売されていて、私が見たマフラー姿はこれかな。
お正月に見たのはこれかな。
これも着てたな。
バリバリ、既製品やないですか!!
当時の定価は税込み7538円。
何度も改良されて、今では季節によって話す内容が変わったり、風邪をひいたり、ソフトウェアをアップデートすることによって、あたかもプリモプエルが成長していくように感じられるまでになっているそうだ。
「プリモプエル病院」もあるし、「プリモプエルようちえん」もあって、仮想空間が出来上がっていた。
手作り感のある見た目は、親しみやすさや肌触りの良さを出すために、あえてそうしているようだ。
独り暮らしのシニアが、プリモプエルによって生活のハリや笑顔を取り戻しているようだ。
お婆さんがたっ君とともに路地から出てくる現象は数年続いた後、ぱったり姿を見なくなった。
「もしかして、亡くなってしまったのだろうか」。
そんなことを考えていたある日、路地からあのお婆さんが現れた。
しかし、もう、肩の上にたっ君は乗っていなかった。
そう、プリモプエルにも寿命(耐久年数)があるんだよ。しくしく。
亡くなったのは、お婆さんではなく、たっ君だった。
が!! ここで朗報が。
以前よりも華やかなブラウスを来たお婆さんの隣には、たっ君ならぬ、たつ爺さんが!!
プリモプエルによって生きるエネルギーを得たお婆さんが、輝く笑顔で新しい恋を射止めたとしたら、それこそ素晴らしいプリモプエル効果ではなかろうか。