私は痛みに耐えるほうだ。
盲腸になったときも、食べ過ぎておなかが痛いのだと思い、身体をひねる運動を繰り返したあげく、消化促進のためにジョギングをしてから病院に行った。
数か月前、顎関節症のようになったときも、無駄に頑張った。
嚙合わせが悪くて食べにくい、しゃべりにくい、激痛がする。
でも、仕事がめちゃめちゃ忙しかったので、病院に行かずに治せないかと考えた。
ネットで検索すると、「顎関節症を早く治すには、志村けんの"アイーン"のような顔の運動をするとよい」と、いくつものサイトに書いてあった。
下あごをゆっくりとできるだけ前に出す。これを何回も繰り返す。
場合によっては、左右にも動かしたほうがいい。
言うのを忘れていたが、私はかなり真面目だ。そして、根気強い。
朝起きてから、時には出張先のホテルで、何セットも"アイーン体操"を繰り返した。
早く治したい一心で、熱心に繰り返した。
しかし、いっこうに良くなる気配はない。それどころか、痛みがどんどん強くなっていく。
しかし、仕事を休むわけにはいかないので、鎮痛剤を飲んでは"アイーン体操"を繰り返した。
やがて、とうとう、鎮痛剤も効かないくらいに痛みが強くなったところで、口腔外科に予約を入れた。
私の症状説明を聞き、一通り口の中をチェックした医師は、やおら顔を上げてこう言った。
「こりゃあ、脱臼してるね」。
「だっ、脱臼?」
生まれてこのかた、肩さえ脱臼したことのない私が、顔を脱臼したというのか?
"脱臼"という恐ろしい単語を聞いたとたん、急に痛みが強くなった。さっきまで人に会って、死ぬほどしゃべり倒していたというのに、痛みで口を開けることすらできない。
「こんな状態で、2週間もよく我慢できたね。ご飯食べられなかったでしょう? しゃべりにくかったんじゃないですか?」とあきれ顔の先生。
確かに滑舌が悪くなったから、必死に明瞭な発音を心掛けたし、モノを噛めなくなったから、激熱の餃子を食べて口の中をやけどしたりもした。
しかし、そんなにひどかったとは。
「脱臼の原因は、顎を前に突き出す癖だね。普段から、顎を前に出す傾向があるんじゃない?」
ゲッ、もしや・・・
「志村けんみたいに下アゴを突き出す運動をしたら、顎関節症が治るって聞いてやってたんですけど」
「いや、特に女性はアゴの関節のかかり具合が浅いから、アゴを前に突き出すと、はずれやすくなるんですよ」
ということは??? 私は自分で顔の関節をはずしたということなのか。
「先生、今すぐ、何とかしてください! このままでは帰れません」
「うーん。うまく関節が元の位置にはまるといいけど、はまらなかったら全身麻酔してやらなきゃだめかもしれない」
私は壁の前に立たされた。
「じゃ、やってみようか。全身の力を抜いてください。力を抜くのは難しいですよ。力が抜けなかったら、別の日に全身麻酔ですよ」とプレッシャーをかける先生。
意地でも全身の力を抜こうと、アメーバをイメージしながら異次元の世界にいる自分を思い浮かべてみた。
先生が、私の顔の両側をつかむ。
と、グゴゴゴゴッというものすごい音がして、耳の下の関節が元に戻った。
あれ? 治った? 治ってる。
嘘のように話しやすくなったが、脱臼していた2週間の間、頬の肉が歯にかぶさっていたために痛みが残っているし、関節の具合も違和感がある。
病気やケガに関しては、ネットの情報で自己判断せずに、医師の診断をあおぐこと。
わかり切っているはずのことなのに、手っ取り早くなんとかしようとしてしまう悪い癖。
いっそ、痛みに弱い人のほうが、耐えられずに病院に行って、悪化を防ぐことができるのかもしれない。
顎関節症かな? と思っても、自己流で顔の体操はしないことをおすすめしたい。