もう、20年以上前になるだろうか。
アントニオ・ガウディの建築物を見に、一人でバルセロナに行ったことがある。
当時の私は、社会に出てがむしゃらに働き、それなりに仕事ができるようになっていた。
ただ、相手が期待したレベルの仕事はできるものの、相手を驚かせるような仕事はできない、といったふうで、業界内のあるコンテストの選考に、途中までいっては最終段階で落ちる、ということを繰り返していた。
そんなとき出会ったのが、アントニオ・ガウディだった。
クライアントの一社に建築関係の会社があり、そこの社長がガウディに心酔していたのである。
アントニオ・ガウディは言うまでもなく著名な建築家であるが、まだCMに登場することもなく、日本ではそれほど知られていなかったと記憶している。
社長は強烈な個性の持ち主で、なかなかにエゲツない性格だった。彼の野望は、唯一無二のガウディ建築のように、唯一無二の社屋を建てること。
「社長室が天井から吊り下がっている設計にしてやろうと思ってさ」と、彼は言った。「宇宙から俺が降臨してくるようなイメージだな。社員ども俺が社長だ! おまえらみんな働けー! ってさ」とも言った。
「経営者と社員の間の垣根を取り払う」という時代の風潮に見事に逆行していたが、彼の顔には微塵のためらいもなかった。
そんな社長に引かれることはなかったが、彼が話すガウディの建築物にはなんとなく興味を引かれ、書店で美術出版社のイグナシ・デ・ソラーモラレス著「アントニオ・ガウディ」(定価2900円)を購入した。
今でも本棚にあるが、写真集ではなく学術的な要素が強いので、写真は彩度の低いダークな仕上がり。絵本に描かれたヨーロッパの街並みそのものだ。
私は、その、さして華やかでない写真をながめながら、ふと思ったのである。
「バルセロナに行ってみよう」。
バルセロナは旅行会社がこれから日本で売り出そうという前夜祭で、日本人の旅人は多くなかった。
ガウディの建築物一覧を手にバルセロナの街をウロウロしていると、前を歩くスペイン人の親子が、怪しいアジア人の女にギョッとして走り去ったこともある。
サグラダ・ファミリアもグエル公園も、それほど心に刺さらなかった。
私が感動したのは、アパート(カサ、カーサ)だった。
夕暮れ時、テクテクと住宅街を歩いていると、不意に現れたカラフルな砂の城。その中に人が住み、灯りがもれている。
「建物は四角」という私の概念を打ち破り、うねうねとした曲線で造られた物体の中に、人が住んでいた。
ただ、それが「カサ・ミラ」だったのか、「カサ・バトリョ」だったのか思い出せない。
今でも人が居住しているのは「カサ・ミラ」だが、当時の記憶は、もっと庶民的な感じ。窓から漏れる灯りをのぞくと、家族が食卓を囲んでいたような気がする。
曲線の具合は「カサ・バトリョ」の屋上に近いが、大通りに面しているし一般人は住んでいない。
私の頭の中の記憶は、こんな感じだ。
バルセロナから帰国した一年後、私はついに目指していた賞を受賞することができた。偶然なのか、ガウディによって頭の中が破壊されたおかげかは、わからない。
3年ほど前に再びバルセロナをたずねる機会があり、ガウディの建築物を見て回った。
しかし、同じアパートの前に立っても、そこに「カラフルな砂の城」はなかったし、「普通の人々の暮らし」も残ってはいなかった。
文化財としての整備が進んで周囲が洗練されてしまったからなのか、私の脳がガウディの衝撃に慣れてしまったからなのか。
人には、そのとき行くべき場所があり、行くべき場所で見たものは、頭の中にまったく違う造形を生み出すのかもしれない。