オオナゾコナゾ

種子島ぴー/九州出身、東京在住。夫と二人暮らしです。旅行のこと、フィギュアスケートのこと、香港のことを中心に、右から左へ流せなかった大小の謎やアレコレを、毒も吐きながらつづります。

さようなら、りんご日報

香港の話題は久しく書いていないけれど、

これだけは書いておこうと思う。

 

香港の新聞「蘋果日報(アップルデイリー、りんご日報)」が、

昨日24日で廃刊に追い込まれた。

 

「蘋果日報」が香港から消える。

かなり衝撃的なことである。

 

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私が香港に滞在していた1997年前後。

街のいたるところにある新聞・雑誌スタンドには、一番目立つ場所に「蘋果日報」が置かれていた。

 

普通の新聞もいろいろあったけれど、庶民の一番人気は「蘋果=ペングォー」。

標準語(北京語)が読めない一般人向けに、広東語で書かれていたこと。

安価だったこと。

そして、下世話なニュースや著名人のゴシップを、衝撃的なタイトルと生々しいカラー写真で報道していたからである。

 

私は、「蘋果日報」が大嫌いだった。

一面にデカデカと、事件現場の惨状や遺体の写真を掲載するからである。

 

新聞スタンドの前は、いつも反対を向いて通り過ぎ、

悲惨な写真が目に入らないようにした。

「亡くなった方への冒涜だ!!」と、いつも憤慨していたが、

あまり周囲の賛同は得られなかった。

 

タブロイド版から政治ニュースに力を入れる新聞になったのは、2014年の「雨傘運動」(民主化を求める市民が、雨傘を手に街を占拠した)の頃かららしい。

「50年間は一国二制度を認める」という約束でイギリスから返還されたものの、返還直後から、共産党はジワジワと香港に侵食してきていた。

 

元々、香港には、「政治を語るのはタブー」という空気があったけれど、

正面から「反共産党」の声をあげたのが、「蘋果日報」だった。

 

「自由香港」をけん引する新聞になったけれど、「雨傘運動」、「民主化デモ」から「幹部拘束・逮捕」「廃刊」に至るまで、あっという間だった印象がある。

 

1997年の香港返還の日、友人(香港人)が新聞スタンドで「蘋果日報」をまとめ買いした。

「香港が返還された日のことを、将来、子や孫に伝えるのだ」と言って。

 

「自由主義のイギリスから、共産主義になるのは怖くないのか?」と、私は聞いた。

友人は、不思議そうな顔をして私を見た。

「中華民族が中国に戻るのに、うれしくないはずはないでしょう」

 

あのときの「中華民族」という言葉が、とても印象に残っている。

 

今、あの友人はどう感じているだろうか。

それを問うメールや手紙を出すのも、危険な気がしてできない。

そんな状況に、今の香港はある。

 

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