きょうの男子フリー最終グループは、とんでもなくすごかった。
と、つくづく思う。
神々の戦いの余韻にひたりながら、きょう一日を振り返るとき、
私の心を占めている演技、繰り返し頭の中で流れるメロディは、
友野くんのHalstonだ。
最終グループは、どの選手もすごかった。
けれど、ジャンプを主軸に置いて、私は演技を見ていたと思う。
昌磨は私にとって特別なので、置いておくとして、
他の選手は、「4回転サルコウ決まった」「ノーミスだ」といったことに感動しつつ、
ジャンプとジャンプの間の表現に目を向けていた。
その中で、友野くんの演技は唯一、“作品”として味わっていたことに気づいた。
観客とコネクトすることにかけて、
友野くんは、誰もが認める力を持っている。
今までは、エンターテイメント性の高い音楽で滑って、
より、観客を盛り上げてきたと思う。
その友野くんが、静かで抑揚のない曲を滑ったら、どうなるのか。
このHalstonという曲は、美しく心に残る曲ではあるが、同じ旋律の繰り返し。
切なく、はかなく、耳を澄まさないと聴こえないような曲なのに、
友野くんは、いとも簡単に観客とつながり、引き込んでしまう。
Halstonを演じる友野くんを見ていると、
深夜に一人で部屋にいる自分が見える。
誰もが持っている孤独な一面。この世界で独りぼっちのように感じながら、
「でも、まだ完全に一人ぼっちではない」と信じられる何か。
そういうやさしさが、心に、体に、しみてくるプログラム。
コリオシークエンス、氷の上を飛んでいるようでしたよね。
友野くんのかすかな微笑みに、鳥肌が立って、泣きたくなる。
たぶん、目線を上げる位置がうまいんだろうな。
目線が下過ぎると内向的になり、上げ過ぎると笑顔になってしまう。
自分の内面と対峙しながら、観客ともコミュニケーションを取っている、絶妙な世界観。
ジャンプが決まったときの拍手が、
熱狂的なのに、作品を邪魔しないように鳴り止む繰り返しで、
他の選手のときと、違うと思った。
終盤から、客席の拍手がどんどん大きくなって、止まらなくなって、
画面を通して聞くと、古いラジオやレコードから流れるノスタルジックなノイズみたいで、
観客が一緒になって、音楽をつくっているみたいだった。
演技が終わっても、笑うでもなく、派手なガッツポーズをするでもなく、
舞台俳優のように観客と向き合い、放心したような表情で前髪をかきあげる姿が、
まだHalstonの世界にとどまっているようで、かっこよかった。
表彰台に乗れるかも。世界選手権に行けるかも。と思ったけど、
これだけの演技をしても世界選手権に届きそうにないのが、やるせなくもある。
今までは、グランプリ大会のHalstonを何度も見ていたけれど、
今日からは、全日本選手権のHalstonを、繰り返し見ようと思う。