香港といえば、全身マッサージや足ツボ、 エステなどのリラクゼーションが種類豊富で、格安なイメージがある。
香港映画にも、黒社会(暴力団)のボスが広々とした風呂につかった後、ゆったりとマッサージを受けるシーンがチョイチョイ登場する。
だから、香港駐在妻キヨミちゃんに、
「うちの旦那がよく行くサウナ(桑拿)が銅鑼湾にあって、 大浴場に入った後にテレビを見ながらジュース飲み放題で、そのあとマッサージしてもらうと、すっごく気持ちいいんだって」
と聞いて、即座にサウナ訪問計画を立てた。
まず銅鑼湾(コーズウェイベイ)のイタリア料理店で夕食。エスプレッソでお腹がいい具合にこなれたところで、サウナでまったりしようという夢のコースである。
場所は堅拿道東(キャナルロードイースト)。日本語の”サウナ”という文字が幼稚園児の字みたいなキヨミちゃんの旦那行きつけのサウナに到着すると、トランシーバーを持った小姐が入口に立っていた。
濃い化粧に、深いスリットの入ったロングスカートをはいている。
入り口正面には、2階に続く大階段。「映画どおりじゃないの!!」。否が応にも期待が高まる。
「Two! (2人)」。 キヨミちゃんが華麗な発音で美女2人の到来を告げるも、入り口の小姐の反応は冷たい。
キヨミ「We want サウナ!」
小姐「サウナではなく、マッサージだけですが、よろしいですか?」
キヨミ「えぇ!! サウナ、モウ(没)?」(サウナ無いの?)
小姐「没呀」(無いわよ)
キヨミ「 だってだって~うちのハズバンドは~サウナ、ヤウ(有)」<原文ママ>
英語と日本語と広東語をめちゃめちゃにミックスした、万国共通で理解不能な言語をあやつるキヨミちゃんに恐れをなした小姐を見て、マネージャーと思しき男性が走ってきた。
マネージャー「どうした?」
小姐「この人がサウナに入りたいって言うんです」
マネージャー「サウナはないよ。マッサージだけだ」
キヨミ「でも~、マイハズバンドは~サウナ、ヤウ(有)」
キヨミちゃんの破壊された言語に硬直状態のマネージャーに「可唔可以冲涼呀?」(シャワー浴びれる?) と聞くと、「可以」 (浴びれるよ)という答え。
しかし、ここで言葉の落とし穴が。普通、香港でお風呂と言えば、シャワー。日本のように浴槽にお湯を張ってつかる習慣はない。
「浴槽につかる」とあえて表現したい場合は、「浸浴槽(ザムヨッコン)」。しかし、当時の私はそれを知らなかった。
薄暗い部屋に通されると、おばさんマッサージ師にペロンペロンの甚平さんみたいな服を渡されて、「 換衫(着替えて)」と言われる。
「 冲涼(シャワー)」としつこく食い下がると、「 わかってるわよ。着替えたら一人ずつ案内するから、ついてらっしゃい」と、おばさん。
だけど、変な部屋に連れて行かれて乱暴されたり、外国に売り飛ばされたりしたら怖い。私たちは顔を見合わせ、「二人一緒に行きます」と答えた。
「カモーン」とおばさんは言い、二人してついていくと、はたしてそこは、トイレのようであった。 それも従業員専用の、ものすごく狭いトイレ。というより”便所”。
打ちっ放しのコンクリートの壁。みすぼらしい便器。そして便器の横には、掃除用のモップが立てかけてあった。
「シャワーロ係邊度呀?(シャワーどこ?)」。
「呢個(それだってば)」。
おばちゃんが力強く指差した先には、ちっぽけな水道の蛇口が付いていた。
もしもーし?
日本のスポーツクラブにあるような、気の利いたシャワールームを想像していただけに、びっくりだ。豪華なお風呂のはずが、従業員便所。しかも、水道。
冷水を浴びせられたような心境とはこのことで、私たちは今まさに、冷水をかぶれと勧められているのである。
「サウナはないって言ってんのに、シャワーシャワーってうるさいから、従業員用のシャワーを貸してやれ」ってことみたい。
果敢にもキヨミちゃんは、「私、さっと浴びちゃうね」と言い、便所の中で服を脱ぎ始めた。私はといえば、扉の前に立って、彼女が誘拐されないように見張っていた。
再び部屋に戻った私たち。部屋は、冷房がガンガンにきいている。サウナで火照った体の熱を取るためだろう。しかし、私らは寒い。冷水を浴びたキヨミちゃんは、もっと寒い。
事前情報では、”ドリンク飲み放題”ということであったが、むろん男性用サウナ限定である。おばちゃんが「冷たいもの飲むか?」と聞いてきたが、寒さに震える私たちは、辞退した。
マッサージをしている間中、おばさん二人は愚痴りあう。
「どう、あんたの亭主、仕事見つかった?」
「見つからない。ずっと家にいるのよ」
「うちの亭主も小巴(ミニバス)の運転手だけど、給料が下がるらしくて」
「私も働き詰めで疲れてるのよね。あぁ、手が痛い」
なまじっか広東語がわかるばかりに、リラックスどころか暗い気持ちになっていく。もちろん、冷えきってカチコチの体に、マッサージが気持ち良いはずもない。
終わってレジに向かうとき、男性用サウナの入り口で、濡れた髪をドライヤーで乾かす男たちが見えた。湯気がホカホカ立って、幸せそうだ。
「一人258香港ドル」。レジの女が機械的に告げる。当時のレートで5000円近い。
お札を出すと、レジの女はお釣りを渡す素振りもなく、知らんふりをして他の従業員とおしゃべりを始めた。「お釣りは?」と聞くと、「あら、すっかり忘れていたわ」という下手な演技をしながら、しぶしぶお釣りを差し出した。
サウナがダメでも、エステがあるさ !
ということで、乾燥肌で目の下の小じわが気になっていた私は、ちょっと張り込んで、ホテルのエステに行くことにした。某ホテルの中にあった、今は無き有名店である。料金は、1万円ぐらいだったと記憶している。
予約した時間にお店に行くと、エステティシャンと呼ぶにふさわしいかどうか分からないような、おばさんが待っていた。
外資系のエステサロンにもかかわらず、おばさんは英語ができないようであった。施術を始める前に、「アト、ニジュドル、ニジュドル、モットキレイ」と、片言の日本語で迫ってきた。
いきなりの営業にびっくりしながら、「ノー サンキュー」と断っても、「ワックス モットキレイ、ニジュドルダケ」と、おばさんは粘る。
ワックスと聞くと、廊下に塗るネチネチした液体しか浮かばない。しかし、ワックスのイメージは”ピカピカ”。「20ドル追加すると、ピカピカ、ツヤツヤのいい女になる」と理解した。
「ok」 と言うと、おばさんは嬉しそうに微笑んで、施術を開始。温かい霧を顔に吹きかけられたりしているうちに、どうやら私は眠ってしまったらしい。
チクチクする感覚で目が覚めると、おばさんが私の顔にペンシルを突き刺しながら、眉毛を描いているところであった。いつのまにか、コースは終了に向かっていたのである。
仕上げにルージュを引いて「フィニッシュ、フィニッシュ」というおばさんの声で、すっかり美しくなった私は、起き上がって鏡を見た。
しかし、どうしたことだろう。鏡の中の私は、施術前より2割増しのブスだ。
厚塗りのファンデーションの上に、広範囲にぼかされた、京劇メイクのような赤いチーク。目の上には、眉尻が長く下がったトホホ眉。
口紅は、「今時こんな色、使わんだろう!!」というような、おばさんピンク。おまけに頭にタオルを巻いていたせいで、髪が真ん中からぱっくり割れて、顔に張り付いている。
ドブス。
こう言っちゃなんだが、中国大陸の奥から出てきたばっかりの、「大陸おてもやん」みたいな感じである。
お金を払って田舎者に変身とは、なんてこったい!! この後の友人たちとのディナーが頭をよぎり、笑いものになることを恐れる私。一刻も早くホテルに戻って、自分でメイクし直さねば。私は、足早に店を出た。
帰りがけに、昨日一昨日と通ったCDショップに立ち寄った。
いつもは 瞬間的に外国人と判断し、にこやかな英語で話しかけてくる店員が、今日はべらんめぇ調の広東語で、ぞんざいに商品を包む。
この対応の違いは何なんだ? 私が「大陸おてもやん」だからなのか?
ホテルに戻ってメイクを落としながら、ますます深くなったような気がする小じわと、強引につぶされて跡が残ってしまったニキビを発見し、がっくりと落ち込んだ。
異国の地でリラクゼーションの境地を味わうのは、なかなか難しいようである。