オオナゾコナゾ

種子島ぴー/九州出身、東京在住。夫と二人暮らしです。旅行のこと、フィギュアスケートのこと、香港のことを中心に、右から左へ流せなかった大小の謎やアレコレを、毒も吐きながらつづります。

シニアに上がる前夜の宇野昌磨選手を取り上げたGoldenSkateの2015年記事翻訳

こんにちはー。今日も東京は晴れ。お布団を干しながら、ブログを書いている種子島ぴーです。

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パソコンの「お気に入り」を整理していたら、昔のゴールデンスケートの昌磨記事が入っていました。4年近く前の記事です。

 

そろそろリンクも消えてしまうかもしれないので、誰かがどこかで訳しているとは思いますが、一応、私も訳しておこうと思います。

★写真は記事に付属のものではありません。

 

GoldenSkate2015年4月「次世代スター:宇野昌磨」

goldenskate.com

先輩たちを追いかけて

ジュニア世界選手権男子で5位になった日本の宇野昌磨は、2002年の高橋大輔、2005年の織田信成、2006年の小塚崇彦、2010年の羽生結弦の後を追っています。

彼らはシニアクラスに上がっても、引き続きキャリアを成功させています。

 

2011年からジュニアクラスで国際試合に参加している17歳のうの昌磨は、この12月に開かれたジュニアグランプリファイナルで金メダルを取って、突破口を開きました。

初めてのグランプリファイナル出場でしたが、とても安定したトリプルアクセルと4回転トゥループを決めて、競争に勝ったのです。

 

バルセロナでの力強い勝利によって、昌磨は突然注目を集め、続くシニアレベルの全日本選手権でも、銀メダルを手にしました。

宇野昌磨の登場&活躍は、高橋と町田が引退した後の日本が、今シーズン、まさに求めていたものでした。

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5歳のとき、お父さんとアイスリンクに遊びに行ってスケートを始めたという昌磨は、ソウルで開かれた四大陸選手権2015で、シニアの国際大会にデビューして5位。

すぐその後に、エストニアのタリンで開かれたジュニア世界選手権で金メダルを取りました。

 

「ジュニアグランプリファイナルで優勝した後、みんなが僕にジュニア世界選手権で優勝してほしいと思ったみたいですが、僕自身はプレッシャーを感じていませんでした」と、昌磨。

 

「でも、その雰囲気が伝わってきて、自分でもプレッシャーを感じるようになりました。一方でプレッシャーは、なんというか、やる気にもつながっていきました。だけど、フリーでは、プレッシャーを感じすぎたと思います」

 

全日本選手権で銀メダルを取った彼は、フリーでいくつかのミスをしました。しかし、中国のボーヤン・ジン(229.70)をかわして、232.54でトップの座を守りました。

 

昌磨はシニアクラスに上がろうと考えていたので、ジュニア世界選手権での優勝が、彼の輝かしいシーズンの締めくくりでもあり、ジュニアクラスでのキャリアの締めくくりともなりました。 

シニアに向けて、いちばん頑張るのは芸術性を高めること。

まだ10代の彼は、引き続きキャリアを成功させるために、すべきことをわかっています。

「ジュニアは、表現力がシニアよりも弱いです。僕が一番、磨かないといけないのは、芸術性だと思っています。それに、ジャンプをさらに安定させることが重要です。まとめると、芸術面も技術面も頑張らないといけないですが、芸術性を磨くことが一番大事です」

 

全日本ジュニアチャンピオンである彼は、シーズンオフの計画をもう決めています。自宅で短期間休養した後、怪我の治療をして、練習に戻ります。

 

「ショートもフリーも、プログラムを変更します。どうするか、具体的なアイディアはまだ浮かんでいませんが、基本的には、今シーズンとスタイルを変えたいです。何か違うことをやりたい。僕は通常は、落ち着いた音楽が好きです」

 

彼は、山田満知子コーチと樋口美穂子コーチが何か提案してくれるのを待つつもり。

「『スケーティング技術と力強いスケーティングを身につけないと』と、先生たちに言われています」と、新ジュニア世界チャンピオンは付け加えます。

 

昌磨のアイドルは、高橋大輔。過去数年間で最も表現力と発信力が優れたスケーター。

ジュニアグランプリファイナルのチャンピオンは、高橋の表現力と氷上での“華”ゆえに、2010年オリンピックの銅メダリストを尊敬しています。

 

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内気だけど、お客さんが多いほうがうれしい。

宇野は、自らを“内気”と評し、知らない人と打ち解けるには時間がかかると言いますが、メディアやファンから注目されるようになったことは、問題ないそうです。

 

「注目されるようになったのは、本当にうれしいです。観客が多ければ多いほど、その方たちに向けて演技をするのが楽しいです。でも、大スターになったとは思いません。滑る時にたくさんのメディア(マスコミ)がいるとうれしいですが、氷を離れたら、インタビューを受けたりメディア対応をするのは、ちょっと恥ずかしいんです」

 

宇野は、伊藤みどりや安藤美姫、浅田真央を生んだ日本のフィギュアの一大拠点、名古屋の出身です。

 

練習を始めたとき、浅田真央はまだ同じ場所でトレーニングをしていて、昌磨の最初の思い出の一つは、リンクで彼女の後を追いかけたことです。

このちっちゃな記憶の断片を思い出したとき、彼の顔にいたずらっぽい笑顔が浮かびました。

 

山田コーチは、女子で初めてトリプルアクセルを跳んだ伊藤みどりなど、たくさんの日本のトップスケーターを教えてきた人です。

 

小さくて17歳には見えない宇野は、高校生ですが、学校よりもスケートを重視していることを認めます。余暇に楽しんでいるのは、テニスとゴルフ。

「他のスポーツは苦手です。スケートだけです」と、彼は笑いながら言いました。

 

宇野昌磨は、来る2015-16シーズンを心待ちにしていて、グランプリシリーズのシニア初年度で、強い印象を残したいと願っています。

(終了)