こんにちは。
今朝は、Googleアラートから届いた宇野昌磨関連ニュースで、
「~浮かれモードで~」という一部タイトルの週刊誌記事が出ていました。
360度どこから読んでもどーでもいい記事だったのですが、
それにしても、今の宇野昌磨ほど、「浮かれモード」というワードがそぐわない人もいないな、と。
昨夜は、昌磨が「いちばん大切な曲」としてあげた(FM AICHI Morning breezeより) 『レオ』by優里のMVをYouTubeで見て号泣。
私には悲観的なところがあり、最高に幸せな瞬間に、少し先に来る悲しい瞬間を想像してしまう傾向があるのですが、
『レオ』を聴きながら、昌磨がEmmaちゃんをとてもとても大切に思いながらも、未来の何かを想っているようで、涙ボロボロ、赤鼻のトナカイに変身してしまいました。
そこからさらに、自分自身のいろいろなことを連想してしまい…泣きすぎ。(←やっかいな性格)
さらに、JOCのインタビューを読み、宇野昌磨って、ここまで自分に厳しい人だったのか、と。
「全て見られていることを自分自身どこかで意識しているので、自分のどこを見られても恥ずかしいと思わないように生きていたいなと思っています。インタビューの場だけ取り繕って良いことを言うのではなく、日常生活においても、友達に対しても、あるいは自分自身に対してもうそをつかず、自分の思っていることを発言し自分のやりたいことを素直に実行していくことを心掛けています。」記事より抜粋
このような心掛けは、言うは易し行うは難し…。
例えば私は、大筋では「どんなときも誇りを持って生きていきたい」と思っていますが、日常の至る部分のふるまいには、誇れないこともいっぱい…😑😑
「自分のどこを見られても恥ずかしいと思わないように生きていたい」と公に口にするのは、覚悟がいると思います
確かに、宇野昌磨選手を応援していて気持ちがいいのは、
ファン心理を操るような言動や、陰でこっそり練習するといった、
人としての醜さを感じさせないところだと思います。
こういう醜さは、多くの人が持っていると思うのですが、彼からはそれが感じられません。
「フィギュアスケートに関して言えば、人それぞれの性格が間違いなく演技に影響すると思っています。表現に人間性が表れますものね。」記事より抜粋
を読んで、無性に世界選手権の演技を見返したくなって、深夜にリピート。
『オーボエ協奏曲』の4回転フリップ、とてつもなくきれいだったなぁ。
とか、
ノーミスSPの演技後の“ぴょんぴょん”は、世界中の解説者や視聴者を幸せにしたなぁ。
とか、
『ボレロ』で、すべてのジャンプを跳び終わったあとのコンビネーションスピンで、顔を少し下に向けて回転するパート、めちゃめちゃかっこいいなぁ。
とか、
『ボレロ』の最後に腕を広げて天を仰ぐ表情、これ以上、純粋無垢な表情はないんじゃないか。
などなど思う。
「表現に人間性が表れますものね。」
というわけで、
一夜明けて目にした頓珍漢(とんちんかん)すぎる週刊誌の記事は、いったいどこからわいてきたのか?
書いた人がとてもマヌケに思えて、ちょっと気の毒でした😭
冗談みたいな話なのですが、今、このブログを書いている最中に、裏の家の学生が、オーボエで『ボレロ』を吹き始めました😆テレパシーが通じたのだろうか?窓から私のパソコン画面、のぞいてないよね??
かなり下手だが、まぁいいでしょう(笑)
さて、ドリーム・オン・アイスが近づいてきましたねー。
SP『ショービティ』が見られるか、FP『ショー線上のアリア』が見られるか、それとも、美穂子先生のEXか?
ネイサンやマリニン君も、あと少しでウェルカムトゥージャパーン!!ですね。