事実の強さに目が覚めることがある。
テレ朝の『フィギペディア~グランプリシリーズ開幕SP』の、
昌磨のパートを見ました。
雨のシャンペリーを、小さな傘をちょこんとさして、
“かさ地蔵”のように歩く昌磨にツボる。
表情が晴れやかで、「小さな町だからゆっくり感じる」とか、
「お天気のいい日に山の上のほうに行くと景色がいい」とか(うろ覚え)、
そんなことを話している笑顔が澄んでいて、ほっこりした。
ステファンやドルフィーニコーチと話している表情を見ると、
「シャンペリーは、昌磨がスケートとピュアに向き合える場所なんだなぁ」と、つくづく思う。
映像の中でステファンが、
「昌磨のスケートへの取り組み方や演技を見ていると、リーダーのそれだと感じる」と。
ステファンは、スケーター昌磨の可能性と本質を、
誰よりも評価している一人だと思いますが、
それでも、昌磨がシャンペリーの一員になったばかりの頃や、
「どうすれば彼を世界一にしてあげられるだろう」と考えてくれていた頃に比べると、
弟子(というか同士)に向ける信頼感や尊敬の念が増している、変化しているように感じます。
「彼はすでに世界チャンピオンだし、最高のスケーターの一人」。
そして、
「彼の技術と感性、芸術性あるスケートは、競技をより高い領域に引き上げる可能性を持っている」(うろ覚え)とも。
やっぱり? でしょ?
今シーズン、私が昌磨に感じている「別の領域に到達しちゃった感」は、
間違っていなかったんだなぁ、と、
ステファンからお墨付きをもらった気分になりました。へっへっへっ(笑)
そういえば、新事実!!
いつも、出水トレーナーにストレッチやマッサージをしてもらっているときに、
昌磨がスマホを見ているのが引っかかっていたのですが、
あれは、練習で撮影した自分のジャンプ等を、確認しているとのことでした。
ですよねー。ゲームしてるんじゃないですよね~。ほっとした~😅
さて、グランプリシリーズ開幕を前に、またしても変なニュース報道が出て、
またかよ?今頃かよ?そもそもニュースなのかよ!?と思っていたのですが、
「スケートに対する思い、情熱は誰よりも強いと思ってます。好きとかそういうのではなくて」という、
体の芯から発せられたような昌磨の言葉・声を聞いて。
また、シャンペリーのリンクで練習する昌磨の表情・真剣な眼差しを見て。
どうでもいい報道のどうでも良さに、
目が覚めたような感覚になりました。
ちなみに、例の報道に対する私の見解は、
「何も変わらない」
「そこに意味を求めない」
「いい解釈も悪い解釈もいらない」です。
宇野昌磨は、いつも自分で考えて、決断する人なので。