少し前に、なぜかFRIDAYから出て来た昌磨記事。
「自分が好きだと思えるプログラムには、まだ出会えてない…」”シン・宇野昌磨”が語った「現在地」 | FRIDAYデジタル
”シン・宇野昌磨”がいつぞやの「シン・フィギュア」を連想させ、
「フジテレビ系??」と思ったけど、違いました。
フィギュアスケートに詳しい記者が書いたのか、
そうでないかはわからないけれど、
取り上げていただいたことを、まずはありがたく思いました。
とはいえ、なんとなく違和感もありつつ、
その正体がわからないままでした。
で、なんとなく自分の中で消化されて感じるのは、
まずこの部分。
日本のスケート史を彩ってきた名スケーターたちには、老若男女に認知された代表的な演目がある。確固たる「実績」を残したいま、宇野もまた自身の代名詞となるプログラムをつくり上げようと模索しているのだ。
「代名詞となるプログラムがあること」と、
「自分が好きだと思えるプログラムに出会えてないこと」は、
イコールではないと思う。
昌磨には、代名詞となるプログラムがあるし、
すでに「日本のスケート史を彩ってきた名スケーター」の一人では?
「岩手めんこいテレビYouTube公式チャネル」のザ・アイス昌磨特集。
どう考えても“名スケーター”なキャリアですけども。
【THE ICE(ザ・アイス)2023】 宇野昌磨選手を特集!【盛岡/morioka】 - YouTube
昌磨には、『グレスピ』のように曲がかかれば大盛り上がりするプロもあるし、
『ボレロ』や『オーボエ協奏曲』『G線上のアリア+Mea tormenta, properate!』のように、
世界中から「マスターピース(傑作)」と評されるものもある。
『ボレロ』も、1シーズンかけて「宇野昌磨の代名詞」にしたんじゃなかったっけ??
昌磨は、自分にとても厳しい。
だからこそ、トップアスリートになれたわけで、
浅田真央の系譜を継ぐものとして、
まっとうなことだと思う。
だけど、厳しすぎる自己評価によって、
フイギュアスケートを見ない人が、
昌磨の発言や記事を額面通りに受け取ってしまうこともあるので、
もどかしいと思うこともあります。
「GPファイナルの映像を見た時に、本当に『ジャンプだけだな』と思ってしまった」。
いやいや、グランプリファイナルのフリーを見返してみたけど。
風に舞う羽のように美しかったですよ。
解説も、「The best of the best!!」って叫んでたし。
本人的には、4回転を5本跳ぶために省略した動きもあるみたいだし、
「賢二先生に申し訳ない」と言っていたこともあるから、
もう少し、細かいコリオを演じきりたいという思いがあるのはわかります。
ただ、私は、宇野昌磨は、
「多回数の高難度ジャンプ+高次元の表現」を実現した、
初めての選手だと思っています。
こう書いちゃうと、他の選手のファンに失礼かもしれないので、
軽く誤っておきたいですが🙏少なくとも私は、そう思っています。
現在の昌磨が、
高難度ジャンプの回数と表現の“Maxバランス”だと思ってます。
理想が高く自分に厳しい昌磨ゆえの発言ですが、
「宇野昌磨はジャンプだけの人」なんて思われた日にゃぁ、びっくりですわ😂
「『僕はこれがやりたかったのかな』っていうのも正直、見ながら感じるものがあった。(自分が)『もう1回見たい』とは思わない演技だった」
これも、本人がそう思うのだから、その通りなんだと思います。
でも、「もう一度見たいと思わない」のは、
「練習で滑り込みすぎて、お腹がいっぱいなのではないか」と思ったりもします。
以前、ミハイル・コリヤダ選手の『ホワイト・クロウ』が
傑作プロと大絶賛されて、観客も解説者も、
「何度でも見たい。オリンピックシーズンも継続すべき」と言ったけれど、
コリヤダ選手は、
「一年間この曲をリンクで聴き続けたので、これ以上は無理」と、
別のプロにしました。
結局、新しいプロの評価が思わしくなく、
『ホワイト・クロウ』に戻したわけですが。
何が言いたいかというと、やり切ったからこそ、
もう見返したくもない、ってこともあるわけで。
たまにしか見ない私は、何度でも見たいよ。
表現の濃密さで言えば、
高橋大輔氏の『マンボ』とか『ロックンロールメドレー』とか『フェニックス』とか、
「ジャンプ跳べなくなるから、お願いだからそんなに踊らないでくだせぇ😂」って
祈りながら見てたレベルのもあるけど、
昌磨の表現の美しさの一つに、
細かいコリオとは真逆の
“タメ”や雄大なイーグルもあるからなぁ。
ただ、今後は、4回転ジャンプの数を減らしてでも、
コリオや世界観を深めて、
表現でさらに突き抜けていく宇野昌磨が見られるのかも。
そうすると、PCSで評価されてもジャンプの基礎点は下がるから、
表彰台には乗れなくなるかもしれません。
昌磨を見続けてきた人は、
「ああ、こういうことなんだな」と理解するかもしれないけれど、
マスコミに、「宇野昌磨、点数伸びず」とか「若手に抜かれた」とか書かれちゃうと、
「選手として下り坂なのかな」と誤解する人もいるかもしれません。
むしろ、フィギュアスケーターとしては、上り坂なのにもかかわらず。
「自分に負けたくない宇野昌磨」が、
そのあたりをどう割り切るのか、
表現を突き詰めたうえで、アスリートとして着地点をどこに置くのか、
とても楽しみになってきました。
あ、そうだ。記事のこの部分にも、ちょっと違和感。
『トゥーランドット』『月光』『冬』『ボレロ』そして、今季の『G線上のアリア』。フイギュアの王道とも言える演目を見事に演じてきた宇野だが
王道のクラシック曲ばかり演じてきたような印象ですが、
『ボレロ』の編曲や『G線上のアリア』の後半に付けた『メアトルメンタプロペラーテ!』は、観客の度肝を抜いたし、
昌磨の真骨頂は、
『Great Spirit』や『Dancing On My Own』『ブエノスアイレス午前零時』『Legends』『タンゲーラ』といったナンバーを、
都会的、中世的世界観で魅せられるところにあると思っています。
あんまりいろいろ言うと、
難癖つけてるスケオタみたいになっちゃうので、
このあたりで止めておこう😆
とにもかくにも、ザ・アイス2023まで
あと1カ月となりました!!
ひゃー、待ちきれないよー。