オオナゾコナゾ

種子島ぴー/九州出身、東京在住。夫と二人暮らしです。旅行のこと、フィギュアスケートのこと、香港のことを中心に、右から左へ流せなかった大小の謎やアレコレを、毒も吐きながらつづります。

「昌磨が愛すべき人間であること、そのものが表現になっている現象」by ステファン

今回のNumber webの記事、とてもよかったです。

number.bunshun.jp

 

特に、ステファンの言葉の部分。

「昌磨の芸術性は、愛から生まれています。彼の周りには、彼を愛し、彼に芸術のオーラを与えてくれる人がたくさんいる。昌磨は、自分が得た愛のおかげで、情熱に満ちた動きをするのです。つまり昌磨の表現は、彼の内面から出てくる美しさやエレガントさなのです。何かの演劇や舞台に感情移入したり演じたりするのではなく、彼自身の自然な動きに美しさがある。その魅力を、彼はまだ理解していないかもしれません。私は、昌磨が愛すべき人間であること、そのものが表現になっている現象に、いつも感動させられています」

 

言葉のどの部分をとっても素敵ですが、特に、この部分。

「私は、昌磨が愛すべき人間であること、そのものが表現になっている現象に、いつも感動させられています」。

 

ステファンだからこそ、気づけることかもしれないし、発することができる表現なのかもしれませんが、

「愛すべき人間であること、そのものが表現になっている現象」って、納得感があり過ぎる。

 

そして、「彼自身の自然な動きに美しさがある。その魅力を、彼はまだ理解していないかもしれません。」という部分を読んで、

 

「ははぁ、それを理解させるために、あえてフリーでわかりにくい曲を選んだのか!」と、思ったりしました。

 

記事を読んでから、今年の世界選手権のフリーをまた見たのですが、

音楽と一体となることで伝わってくるものがあるし、

音楽が力になっているのも感じました。

 

 

後半の『メアトルメンタプロペラーテ!』では、観客(私)もどんどん気持ちが高揚し、

4T+(「アップ!」byステファン)+1Tからの3A+2Aで、鳥肌がブワーッ。

観客と選手と音楽で、会場が一体化していくのを感じました。

 

今回のフリー『Time lapse/Spiegel im Spiegel』。

前半の『Time lapse』は、ドラマチックな音楽に、ドラマチックで印象的なコリオが散りばめられ、ぐいぐい引き付けられるのですが、

 

後半の『Spiegel im Spiegel』の部分は、

前半で出たアドレナリンを鎮めるかのような起伏のないメロディと、

滑りとライン、腕の動きの美しさだけで魅せる“通好み”のプロなのか、

まだ私は、理解の“フック”が見つけられていません。

(クリムキン・イーグルとかは、求めてないです)

 

 

だけど、ステファンの言葉を読みながら、

「あえて、フック(引っ掛かり)のない曲にして、

自身の体一つで、身体表現のみでプログラムを創り上げることで、

内なる表現力を引っ張り出そうという意図があるのかな?」と思いました。

 

同時に、『Dancing On My Own』の時のことを思い出しました。

ヒット曲だったし、カラム・スコットの歌も有名でしたが、

最初にお披露目したときは、「何かが足りない」と言われました。

 

でも、最終的には、世界中の人の心を揺さぶる名プロになったし、

逆に音楽に新しい生命を吹き込んでみせました。

 

だから、カーニバル・オン・アイスで初めて見てから中国杯までは、1カ月あるし、

次に見たら、別物になっていると思う。

 

そして、最終的には、昌磨の内なる化け物級の表現力が引っ張り出されて、

静かで平坦に聞こえた『Spiegel im Spiegel』が、

全然違う曲に聴こえているんだと思います。

それでもって、最終的には、昌磨の滑りにひれ伏し、降参することになってるんでしょうな。😆