こんにちは。雪の影響は大丈夫ですか。
東京は久しぶりの大雪で、まだ交通機関が少し混乱しています。
さて、私は、プログラムの好き嫌いが、
曲に影響を受けやすい観客だと思います。
感動する演技、プログラムは、音楽が鳴った瞬間、演技が始まる前から、
両腕にゾワッと鳥肌が立ったりします。
それは、音楽が良いから、曲が感動的だからだと思っていました、つい最近まで。
でも、そうではないことに、今ごろ気がついたのです。
鳥肌が立つのは、曲が始まる時点で、曲が流れ始める前に、
スケーターが、プログラムの世界観をすでに作り終えているからなんだ、と。
動き始める前から、演技は始まっている。
①表情やポーズ、オーラによって、観客をこれから演じる曲の世界観へいざなう。
②曲がスタート
③演技が始まる。
この順番だと気が付きました。
というのも、同じ曲を他のスケーターが演じても、
鳥肌が立たないことに気づいたから。
つまり、曲による条件反射ではなかったのです。
該当する演技を思い返すと、たとえば、宇野昌磨選手の『ブエノスアイレス午前0時』。
挑むような表情、今にも飛び掛かって行って決闘しそうな体の角度。
ヨーロッパの香りがするラテンアメリカの、街頭暗めの路地が目に浮かびます。
パイパー・ギレス&ポール・ポワリエの『エビータ 泣かないでアルゼンチン』。
いや、始まる前から泣きそうですけど。
心が折れそうな民に、慈悲と「勇気を出して」の眼差しを向けるパイパー。
広場に集まった群衆が見えるようです。
舞依ちゃんの『戦場のメリークリスマス』。
空から雪の結晶が舞い降りてくるのが見える。
静寂。静寂。静寂。
高橋大輔さんの『In the garden of souls』。
視線の先まで見えるようなまなざし、絶妙に開いた唇が、
神秘なシークレットガーデンな感じ。
スタート位置に着く前の腕と指先の動きも美しかった。
彼の場合は、10秒くらい前から演技が始まってましたね。
それでいうと、海のオトコと遊女が日本昔話の世界に引き込むようだった『ソーラン節』も、演技の前から二人で舞台装置を完成させていたような。
ハン・ヤンの『ラ・ラ・ランド』は、
リンクに入るときからラ・ラ・ランドだったなぁ。
衣装、髪型、背中の角度、ポケットに入れた手まで、
アクターズスタジオ出身の俳優みたいでした。
昌磨の『ダンシング・オン・マイ・オウン』は、
照明暗めのダンスフロアで、
彼の周りだけぽっかり空いて、ライトが当たっているような世界観でした。
映画でよく見える、周りにバカ騒ぎしている人たちがスローモーションで映っていて、
主人公だけが取り残されて普通のスピードで動いているような、あれです。
『G線上のアリア』は、
今、まさに、背中から羽根が映えようとしている場面のようでした。
こういう場面では、誰も席を立っちゃなんねぇ。息や咳をしてはなんねぇ。
神聖な儀式の始まりを、待っているような空気でした。
友野くんの『Halston』も、リンクに入る前から静寂を連れてきて、
“ポツン”とした感じで、スタート位置につく。
このとき、姿勢が良過ぎない。
前にも書きましたが、深夜に一人ぼっちで部屋にいて
いろんなことを考えている自分を客観的に見ている気分になります。
そして、なぜか涙が…
泣きそうといえば、松生理乃選手の『One Day I'll Fly Away』。
夢見るような、でも強い意志を感じさせる表情とポーズ。
衣装も華やかだけど気品があって、
少女とレデイの中間の、羽ばたこうとする女性の物語が始まる予感が。
ネイサンの『ネメシス』も、初めて見たときは衝撃的だったなぁ。
胸をぐっと突き出し、こぶしを握り締めてた。
眼光がめっちゃ鋭く、荒ぶる毛量😅も怖かったよね。
ネイサンの恨みを買ったら、「ネメスッス ネメスッス」って、
どこまでも猛スピードで追ってきそうな雰囲気だった。
リンクに立ったとき、「よし頑張ろう」が先立っている人と、ブログラムの世界観に浸っている人と、2種類いるなあと思いました。